西武線沿線東エリア

平和の森公園(防災公園)は大きな遺跡の上にあり、昭和58年(1983)に70年余の歴史を閉じた中野(旧豊多摩)刑務所跡地の一部です。早稲田大学の直良信夫博士によって昭和38年(1963)に土器や住居跡が確認され、大きな遺跡の所在が推定されていました。 区は公園工事の前に発掘調査を行い、弥生時代を主とする約100軒の住居跡と、土器など多数の遺物を発見。未調査の区域も含めて「平和の森公園北遺跡」と命名しました。都内でも屈指の規模のこの遺跡は、大規模な弥生時代のムラがあったことや、縄文時代、古墳時代についての貴重な資料です。 代表的な出土品は歴史民俗資料館及び公園事務所内に展示され、園内には弥生時代後期の住居が復元されています。   所在地 中野区新井3-37(平和の森公園内) アクセス 西武新宿線「沼袋」駅から徒歩5分 電話 03-3385-4150(平和の森公園事務所)     中野区認...

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中野区立歴史民俗資料館は、郷土の文化遺産を保存し、展示活用していくことを目的として、1989年に開設されました。同館が建っている場所は、かつて文化人の社交クラブである「ポプラ俱楽部」のテニスコートがあったところです。1984年に名誉都民である山﨑喜作氏から土地を寄贈され、建設されました。 同館には常設展示室と特別展示室、企画展示室の3つの展示室があります。常設展示室ではさまざまな物品や再現ジオラマなどを展示し、原始から現代までの中野の歴史を知ることができます。特別展示室と企画展示室では年に3、4回、テーマを変えて様々なものを展示しています。 また中野の歴史に関する様々な刊行物を閲覧、購入することもできます。 さらに歴史民俗資料館に続く敷地には、都内では珍しいくらいの大木で中野区指定文化財となっている樹齢おおよそ500年のしいの木があります。   所在地 中野区江古田4-3-4 アクセス...

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江古田の蓮華寺には、井上円了の墓所があります。 円了は安政5年(1858)、新潟県の寺に生まれ、哲学者・教育者として明治中頃から大正にかけ多彩な活動を繰り広げました。特に既成仏教の革新、キリスト教の批判や迷信打破の運動は、日本文化史に特筆されるものです。また哲学館(後の東洋大学)と哲学堂を創立し、円了が提唱する「護国愛理」をもとに学校教育と社会教育の振興を図りました。こうして国民道徳の普及と「考える人」の養成を目指し、国家への報恩を願ったそうです。 円了は大正8年(1919)、巡回講演の旅行中に中国で病死し、蓮華寺の先々代住職と親交があったことにより当寺に葬られました。井桁の上に円形の石を置いて名前を表現した墓石は、生前の発意といわれています。   所在地 中野区江古田1-6-4(蓮華寺本堂前) アクセス 都営大江戸線「落合南長崎」駅から徒歩13分     中野区認定観光資源 中野区の...

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江古田の森公園の東側、つまり沼袋丘陵の東端一帯には、妙正寺川に沿って広がる低湿地遺跡の北江古田遺跡があり、縄文時代のほぼ全期の遺物が発掘されました。特に中期(約4500年前)に属する、貯蔵穴などに使われた土坑から、カゴやクルミなど貴重な遺物が出土しました。 また祭祀に使われたと思われる一群の土器も注目され、その中には植物の繊維を撚ってタガをかけた、赤塗の珍しい浅鉢があります。 このほかに、投網の先に付ける、土器の破片でつくったオモリ(土錘)が多量に発見されました。この時代の人々が植物や動物のほかに妙正寺川あたりの魚を獲って暮らしていたことが窺われます。   所在地 中野区江古田3-14(北江古田公園内) アクセス 都営大江戸線「新江古田」駅から徒歩7分     中野区認定観光資源 中野区の都市観光の振興を目的として、区内の地域資源(旧跡・建築物・文化財・商店街・食文化・イベントなどの有...

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写真の碑は、区画整理組合が河川改修、道路整備、土地、耕地の交換による区画整理などの事業を行った記念に建てた整地碑です。 区画整理が行われたのは、「大東京市」を実現する都市計画のためです。日本資本主義が確立したといわれる日清・日露両戦争の頃に、東京の人口密集化と郊外の市街化に拍車がかかりました。特に関東大震災以降は、東京市と隣接する近郊との連携の取れた都市計画が必要となり、区画整理が行われました。 こうした東京の広がりに対して、郊外側から整備を進めて対応した農村の区画整備事業の実態がよくわかります。この事業によって江戸時代からの農村の景観は大きく変化し、街の機能を持つ東京市の近郊農村へと生まれ変わりました。   所在地 中野区松が丘2-36(関東バス車庫向い側江古田大橋際) アクセス 西武新宿線「沼袋」駅から徒歩13分     中野区認定観光資源 中野区の都市観光の振興を目的として、区内...

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新井白石(明暦3年(1657)~亨保10年(1725)、満68歳没)は江戸中期の朱子学者であり政治家です。本名は君美(きんみ)、通称は勘解由(かげゆ)といい、白石は号です。 木下順庵に朱子学を学び、その推挙により徳川綱豊(後の家宣)の儒臣となります。宝永6年(1709)家宣が将軍になると、幕臣として間部詮房とともに家宣を補佐。正徳の治を開き、数学と政治の一致に努めました。主な事績として、武家諸法度改訂、貨幣改鋳、海舶互市新令の施行、儀式典礼の整備などが挙げられます。 学者としては、合理性と実証を重んじ、朱子学的思考と実践の結合した合理主義者で、日本古代史に合理的解釈を試み、外国事情にも意を用いました。著書には「藩翰譜」「読史余論」「西洋紀聞」「采覧異言」「折たく柴の記」などがあります。   所在地 中野区上高田1-2-9(髙德寺境内墓地) アクセス 東京メトロ東西線「落合」駅から徒歩5...

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大正時代までは人の背丈ほどの塚でしたが、道路工事の関係で現在は削られています。その際に経筒と人骨が出土したことにより「お経塚」と呼ばれています。それ以前は「古塚」と称されていました。 東福寺の火災により経文などを埋めた塚である、文明9年(1477)の江古田ヶ原・沼袋合戦の戦死者を埋葬した豊嶋塚である、などという話も伝えられています。これは東福寺の土地だったことと、経筒・人骨が出土したことを合わせた、大正時代以降の解釈と思われます。 塚の上には江古田村念仏講中による元文3年(1738)建立の地蔵と、安永5年(1776)建立の馬頭観音が建てられています。   所在地 中野区江古田2-14 アクセス 西武新宿線「沼袋」駅から徒歩11分

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上高田にある萬昌院功運寺は、道元禅師の教えを守る曹洞宗の寺院。山号は龍寶山です。 もともとは久寶山萬昌院と龍谷山功運寺という別々の寺院でした。萬昌院は新宿区の市谷筑土八幡町から大正3年(1914)に、功運寺は港区三田から大正11年(1922)に移転して、昭和23年(1948)に正式に合併しました。 幕府高家の吉良家は、萬昌院を菩提寺としました。義定・義弥・義冬・義央の吉良家14代から17代まで4代の墓石が建てられています。義央の墓石には「元禄十五壬午十二月十五日」とあり、赤穂浪士の討ち入りの際に死去した史実を裏付けています。吉良家のほか旗本・水野重郎左衛門、浮世絵師・歌川豊国、作家・林芙美子のお墓もあります。   所在地 中野区上高田4-14-1 アクセス 東京メトロ東西線「落合」駅から徒歩10分、JR中央・総武線・都営大江戸線「東中野」駅・西武新宿線「新井薬師前」駅から徒歩12分 電...

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江原小学校に道を挟んで隣接している公園です。ブランコやすべり台、鉄棒、うんてい、ジャングルジムといった遊具や砂場を備えています。また十分な広さの広場もあり、運動をするのにも適しています。夏季にはじゃぶじゃぶ池が開設され、子どもたちでにぎわっています。   所在地 中野区江原町1-15 アクセス 都営大江戸線「新江古田」駅から徒歩8分

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松が丘の北野神社は「天満宮」とも呼ばれ、新編武蔵風土記稿にも掲載されている古い神社です。御祭神は菅原道真公で、学業成就、合格祈願、五穀豊穣、子孫繁栄などの御利益があるとされています。 この神社では昔から「おびしゃ」(御歩射、備射)が行われてきました。弓で的を射てその年の農作物の豊凶を占う、春の神事です。いつ頃からか直会の宴(神事の最後に参加者全員で供物を飲食する行事)のような色合いが濃くなり、大正時代には日光の「強飯式」(山伏が大盛りにしたご飯を食べる行事)に似た行事に変わったそうです。2月の初午の日と秋の例祭の2回行われ、当番と両隣りの家が本膳を用意し、大人は祝いのうたを歌い、子どもは豊年祈願の文章を読むのが恒例でした。現在では行われなくなり、伝統を語る古老も少なくなってしまいました。   所在地 中野区松が丘2-27-1 アクセス 西武新宿線「新井薬師前」駅から徒歩12分 電話 0...

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