中野の歴史

左上/中島菊夫 右上/疎開先に送った「唐児遊図」全面直筆で複数作成した 左下/疎開先の中島菊夫と子供たち 右下/代表作「日の丸旗之助」   戦前。少年たちを釘づけにした、三大マンガ作品「のらくろ」「冒険ダン吉」「日の丸旗之助」をご存知ですか? この中で戦後、筆を折った漫画家がいます。それは「日の丸旗之助」の作者、中島菊夫です。中島菊夫(1897~1962)は、高知県に生まれ、小学校の教師となりましたが上京、中野区上鷺宮に住み漫画家となりました。戦時中、学童疎開がはじまると志願して鷺宮国民学校(現在の鷺宮小学校)の美術の教師となり、親元・家族から離れて福島県で暮らす子供たちにイラスト入り「慰問新聞」で故郷鷺宮の様子を伝える新聞を送り続けました。コピーのない時代ですので、すべてが中島自筆のものでした。やがて、戦局が悪化すると、疎開先でつらい生活をしている子供達に直接触れ合い、世話をするため...

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左/オリーブ橋 右/若宮オリーブ公園   「二十四の瞳」で有名な作家壺井 栄(1899~1967)は、昭和17年(1942)から亡くなるまでの25年間、現在の白鷺1丁目に住んでいました。小豆島に生まれ、貧しい家庭で育ち、郵便局・役場に勤めるも大病に罹り生死をさまよった。そんな折、同郷の詩人壺井繁治と知り合い、大正14年(1925)上京し結婚しました。世田谷三宿、太子堂、東中野昭和通り(中野三丁目)と転居をしますが、この間に林芙美子・平林たい子・佐多稲子・宮本百合子といった錚々たる女流作家たちとの親交を深めました。彼女たちの影響から見よう見まねではじめた文筆活動でしたが、昭和13年(1938)「大根の葉」で作家デビューしました。39歳の遅いスタートでした。   昭和16年(1941)に鷺宮に家を建てましたが当時の鷺宮地域について「私のいまいる土地は、大根畑であった。(中略)一足でると西も...

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左上/板ふすま絵「唐児遊図」 右上/板屏風「竹林の七賢人」 下/江古田氷川神社神楽殿天井絵(非公開)  中野区立歴史民俗資料館が所蔵する旧江古田村名主山﨑家資料の中に「雪洞」という絵師が描いた一群の作品が残されています。一つは「かまきりと葉鶏頭図」で絹布に彩色された掛軸で、もう一つは桐板の屏風に描かれた「竹林の七賢人」、三つめは庭に残されている天保12年(1841)建立の茶室・書院の杉板のふすま絵「唐児遊図」です。 言い伝えによれば、弘化4年(1847)に建てられた江古田氷川神社神楽殿の天井絵(現在も残されています。)を描いた絵師が、山﨑家茶室・書院に宿泊していたことから、描いてもらったものということです。絵の内容は、絵画史の専門家に見ていただいたところ、きちんとした画業を積んだ狩野派の絵師であると教えていただきました。そうなると、どんな絵師がこの江古田に来たのか、俄然興味が湧きます。...

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左/正面側(法務省敷地)から 右/裏側(区道)から  新井3丁目には昭和58年(1983)まで「中野刑務所」がありました。刑務所というと聞こえは悪いですが、戦後日本の平和の礎となった、あるいは支えた人々が収監されていたところでもあるのです。   この刑務所は江戸幕府の「小伝馬町牢屋敷」からはじまり「市谷監獄」経て大正4年(1915)に中野に移転、以後「豊多摩監獄」「豊多摩刑務所」「中野刑務所」と名前を変えました。 日本があの暗い戦争に突入しようとしていた戦前、「治安維持法」によって言論は統制され、政府に対する批判を徹底的に弾圧しました。少しでも怪しく思われた者は、つぎつぎに捕縛され、その多くが豊多摩刑務所に送られてきました。収監されていた人々は大杉榮・荒畑寒村・亀井勝一郎・小林多喜二・中野重治・河上肇・三木清・壺井譲治といった、文学者・評論家・学者が主に標的にされていました。ここで、命...

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上/整地碑(新青梅街道沿い) 左下/明治42年(1909)の江古田村中心地(右下は井上哲学堂) 右下/昭和20年(1945)の江古田。江古田川の流路と道路が整理されている 大正年間以来、中野区は急激に人口が増えてきましたが、元々農村地帯だった土地柄のため、農道は直線ではなく、田畑のあぜ道がそのまま街路になったりと、整備が必要になってきました。 そこで、大正15年(1926)には桃園川沿い(35.4ha)、昭和2年(1927)には神田川・本郷通り沿い(52.8ha)の区画整理事業が着手されましたが、すでに宅地化されているところはできなかったため部分的にならざるを得ませんでした。その点で、著しく効果が上がったのは、江古田・江原地区の区画整理でした。 昭和8年(1933)、地元の堀野氏・山﨑氏をはじめとした地主の人々が、江古田土地区画整理組合を設立しました。続いて、昭和11年(1936)に江...

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野方配水塔(南東側から望む) 大正時代頃の中野区は農村地帯でしたので、飲料水は井戸水に頼っていました。当時の東京では玉川上水の水を淀橋浄水場(現在の新宿中央公園)で浄化して水道水としていましたが、23区東部に配水され、農村地帯であった西部一帯には水道はありませんでした。 東京は近代都市としてインフラ整備をめざしている時期でしたので、大正8年(1919)に東京府は淀橋浄水場の設計者である中島鋭治博士に依頼して水道整備計画に着手しました。ところが関東大震災による人口の郊外流出により、計画を早めることになったのです。この計画は多摩川の水を世田谷区砧で取水・浄化して、世田谷区・中野区・杉並区・練馬区・板橋区・豊島区・北区に配水するという大規模なものでした。ところが、世田谷区から取水した水は標高の高いこれらの地域では水圧が落ちて、うまく配水できないのです。そこで、高い場所に配水塔を建てて、水を汲...

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上/昭和7年(1932)の東中野駅あかずの踏切 左下/昭和20年(1945)頃の東中野駅 右下/現在の東中野駅 鉄道には開かずの踏切がつき物ですが、東中野駅東側にあった桐ケ谷踏切はその中でも最高クラスでした。東中野駅は、明治39年(1906)に柏木停車場として開設され、大正6年(1917)に現在の名称となりました。 関東大震災以降、中央線の走行車両は増加し、そのため踏切に大きな影響が出はじめました。開かずの踏切の誕生です。昭和7・9年の2回、地下道・跨線橋(横断橋)の設置の請願書が地元の人々から東京鉄道局長あてに提出されました。それによると昭和9年7月23日の午前7時から8時の調査では、約1時間に80本の通過電車があり開いていたのはそのうち12分間ということでした。 やがて昭和10年(1935)に跨線橋(横断橋)ができ、徒歩の人の不便は解消され、自動車・自転車については改善されませんで...

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左/明治42年(1909)(左)と現在の中野駅周辺の地形(南側が掘削されていることがわかる。) 右/昭和4年(1929)東側に移動、新築された中野駅 大正元年(1912)の中野駅の昇降客は一日平均1,981人でしたが、大正10年(1921)には6,752人に膨れ上がります。大正12年(1923)の関東大震災は人口の郊外流出のきっかけとなり、昭和元年(1926)にはなんと17,406人と激増しました。 当時、今より100m西側あった中野駅は北側が軍事施設に接しているため、ほとんど開発する余地がありませんでした。また、南側も、桃園通りを中心とした商店街が発展し、激増する利用者への対応能力は限界にきていました。 そこで、北側と南側が空いていた現在の位置に中野駅を移すことになったのです。単純な移動ではなく、軍事施設の東側の道を鉄道の下に通し、さらにそのまま、桃園川まで至り、現在の五差路まで掘り...

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左/明治42年(1909)の中野駅とその周辺 右/明治40年代の中野駅(南口) 明治22年(1889)にできた中野停車場(現在の中野駅)は今より、約100mほど西側にありました。その頃の中野駅は、一面の雑木林とわずかな畑といった広漠たる武蔵野の原野でした。 さて、駅は出来ましたが駅前が発展するのには少し時間がかかりました。それは、今まで400年来の商業・産業の中心地が青梅街道筋にあったことと、人々が鉄道に対する誤解から、中央線の敷設に反対していたという二つの理由からです。当面の間は、青梅街道へ歩いていくための最寄駅としての役割が主でした。 やがて、明治30年(1897)に陸軍鉄道大隊が北側に設置され、それ以降に、中野三丁目一帯には貴族院議員神田乃武の10,000坪の屋敷や中野一丁目には衆議院議員望月右内の屋敷などが建てられ、大正時代までには政治家・実業家の邸宅地として発展しました。また...

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左/井上円了の墓所(江古田蓮華寺)※井の上に円を配置し完了するといったデザインは生前、円了がみずから考えたものといわれている。 右/東京都名勝哲学堂公園(右から六賢台・四聖堂・宇宙館) 明治時代、急激な西洋化は、日本の伝統的な考え方に大きな変化を与えました。西洋・東洋の哲学を融合し、そこに人間の生きる道を見出し、哲学を万民のものに普及しようとする哲学者井上円了は、中野区和田山(現在の松が丘)に「哲学堂」を建てました。 哲学堂は明治37年(1904)に釈迦・ソクラテス・カント・孔子を祀る「四聖堂」を建てたことにはじまります。その後、諸施設を拡充し、現在に至っています。 哲学堂は大きく三つのエリアによって哲学の骨格を説明します。人は心と物のよって造られ、それは哲学堂内の二つの庭「唯物園」「唯心庭」によって象徴されます。しかし、これだけでは進みません。ここに、空間と時間を付与すると、人間たる...

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