【中野の歴史9-4】 中野駅は今より西側にあった

左/明治42年(1909)の中野駅とその周辺 右/明治40年代の中野駅(南口)


明治22年(1889)にできた中野停車場(現在の中野駅)は今より、約100mほど西側にありました。その頃の中野駅は、一面の雑木林とわずかな畑といった広漠たる武蔵野の原野でした。

さて、駅は出来ましたが駅前が発展するのには少し時間がかかりました。それは、今まで400年来の商業・産業の中心地が青梅街道筋にあったことと、人々が鉄道に対する誤解から、中央線の敷設に反対していたという二つの理由からです。当面の間は、青梅街道へ歩いていくための最寄駅としての役割が主でした。

やがて、明治30年(1897)に陸軍鉄道大隊が北側に設置され、それ以降に、中野三丁目一帯には貴族院議員神田乃武の10,000坪の屋敷や中野一丁目には衆議院議員望月右内の屋敷などが建てられ、大正時代までには政治家・実業家の邸宅地として発展しました。また、中野二丁目には戦前、後に首相となる岸 信介の屋敷があったと伝えられています。
それをきっかけに、南口が発展しはじめます。桃園通りがその中心で、郵便局・金融機関・商店などが続々とできあがり、駅前商店街の景観が整い、宅地も徐々に増えていったのでした。

(中野区立歴史民俗資料館 館長 比田井克仁)

「中野の歴史」は、毎月第1~第4金曜日10:00に更新する連載コラムです。

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