【中野の歴史12-1】 アトリエのある街(三岸好太郎・三岸節子)


左/竣工時の三岸アトリエ 右/内部の様子(らせん状階段が斬新)  


昭和9年(1934)、中野区上鷺宮の広漠とした畑の中に、白いモダンな建物が建ちました。画家三岸好太郎・節子夫妻のアトリエです。

三岸好太郎(1903~34)は若くして夭折した、大正時代を代表する画家の一人です。アトリエは、ドイツのバウハウス(1919~33年の14年間だけ存続した建築・美術の世界的な専門学校)に留学した新進気鋭の建築家山脇巌(1898~1987)に設計を依頼しました。山脇は三岸の様々な注文を受けて、3回も図面を引き直したそうです。

しかし、三岸は、心血を注いで建てたこのアトリエを見ることなく亡くなりました。アトリエの完成は妻で画家の三岸節子(1905~99)に引き継がれたのです。節子も昭和を代表する女流画家です。

この建物は、壁面は1階2階通して全面ガラス窓、1階にアトリエ・応接室・2階に書斎兼書庫が配置され、螺旋階段で2階に上がるというモダンな設計です。茅葺屋根の農家しかなかった当時、どんなにか目立つ建物だったことでしょう。

三岸節子はその後、昭和39年(1939)までここをアトリエとしていました。白鷺に住んでいた壺井 栄とも懇意にしており、「住めば都で、うれしいこともだんだん出てきた。そのまっ先が三岸節子さんとの出会いだった。」と壺井は述懐しています。

このアトリエは平成26年に国登録文化財になり、ご子孫の努力によりスタジオなど芸術活動に用いられ、保存が進められています。

(中野区立歴史民俗資料館 館長 比田井克仁)

「中野の歴史」は、毎月第1~第4金曜日10:00に更新する連載コラムです。

バックナンバー

PAGE TOP