【中野の歴史12-2】 テニスが好きな絵かきさん(小杉放庵)


左/小杉放庵「九月ききょう」歴史民俗資料館蔵 右/名古屋全日本壮年ダブルスでの(左)山﨑喜作・(右)小杉放庵 (1936年頃)  


昭和61年(1986)まで、中野区立歴史民俗資料館の敷地はテニスコートでした。戦前、北区田端にポプラ倶楽部という、作家・画家などのテニスクラブがありましたが、戦災により活動中止となり、会員であった中野区議会議長であった山﨑喜作氏により、戦後この地で再開したのです。アマチュアとはいってもレベルは高く、公式試合では優勝者続出といった名門クラブでした。画家小杉放庵も会員の一人で昭和3年(1928)の東日トーナメントで優勝しています。

小杉放庵(1881~1964)は、春陽会や女子美術大学の創設者で有名な画家ですが、大正2年(1913)に渡欧した折、あちらの画家はテニスなどをして優雅に暮らしているのを見て感動しました。そして帰国後、このポプラ倶楽部の中心的な創立メンバーになったのです。

戦前から山﨑喜作との親交は深く、江古田にクラブが再興されますと日々江古田に通うようになりました。やがて、江古田二丁目バス亭の南側の土地を山﨑氏から得て、アトリエを建てることができましたが、家族との関係から本人が住むまでには至りませんでした。

これらの関係から、小杉放庵の作品は「九月ききょう」「梅花遊禽図」、早稲田大学庭球部50周年記念皿のデザイン原画などが山﨑家に残され、現在、中野区立歴史民俗資料館に保管されています。

(中野区立歴史民俗資料館 館長 比田井克仁)

「中野の歴史」は、毎月第1~第4金曜日10:00に更新する連載コラムです。

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