【中野の歴史12-3】かきねの、かきねのまがりかど(巽 聖歌)


「たきび」のうたの垣根(上高田3丁目) 


誰もが知っている童謡「たきび」のうたは、中野区上高田で誕生しました。作者の童謡詩人巽聖歌(1905~73)は、岩手県に生まれ、昭和3年(1928)に上京、以後、北原白秋に師事しました。最初の詩集を刊行したのち、昭和7年(1932)から23年(1948)まで中野区上高田(現在の上高田4丁目15番)に住んでいました。「かきねの、かきねの、まがりかど、たきびだ、たきびだ・・」の詩は、朝な夕な上高田を散歩しながら創作されたといいます。そのイメージを育んだ垣根は、上高田3丁目の鈴木邸の建仁寺垣です。「たきび」のうたが、ラジオ放送「うたのおけいこ」に流されたのは昭和16年12月でした、しかし、タイミングが非常に悪く日本が太平洋戦争に突入した時期だったため、軍部によりただちに放送が中止されました。理由は、たき火は戦略上これから控えるべき行為で、落葉は燃やさず堆肥に使うべきだからとかいう理由だったようです。そのため、「たきび」のうたが広く知られるようになったのは戦後でした。

ところで、JR豊田駅の発着のメロディーがたきびのうたですが、これは昭和23年以降に巽聖歌が日野市に転居したことによります。 

中野が一歩遅れてしまったのは、残念な気がしますが、その誕生の逸話が区民のみなさんに語り継がれていることで良しとしましょう。巽聖歌自筆の「たきび」の詩の扁額が中野区立歴史民俗資料館に保管されています。

(中野区立歴史民俗資料館 館長 比田井克仁)

「中野の歴史」は、毎月第1~第4金曜日10:00に更新する連載コラムです。

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