2021.03.09〜2021.03.28 歴史民俗資料館 企画展「中野の遺跡と歴史年表」 2021.02.24 UP 西武新宿線沿線東エリア 古代編 イベント 観光スポット 中野の歴史 遺跡からたどる中野のようす 企画展「中野の遺跡と歴史年表」2021年3月9日(火)~3月28日(日) 語り継がれた歴史、書き記された歴史が発掘によって姿を現す遺跡の発掘結果をもとに中野1万年の歴史を紐解きます。 中世以降の中野―御嶽遺跡と城山居館天正19年(159…
【中野の歴史-古代編7-】そして誰もいなくなった 2016.05.20 UP 古代編 中野の歴史 なぜか中野区には奈良時代(8世紀)の集落遺跡がありません。それ以前の集落は、6世紀代から7世紀中頃まで、北原遺跡・平和の森遺跡・新井三丁目遺跡・中野神明小学校校庭遺跡・富士見台遺跡・向田遺跡など区内全域に認められているのですが、8世紀になるとパタッとなくなってしまいます。…
【中野の歴史-古代編6-】中野にも古墳があった!? 2016.05.13 UP 古代編 中野の歴史 中野に古墳があるというと、意外に思われる方もいるかと思います。古墳というと教科書に載っている巨大なものを想像しますが、規模があまり大きくない古墳は中野区にも存在しています。土盛りした塚の部分、墳丘は耕作や宅地開発で削られているため表面では見つけられないのです。中野区立上高…
【中野の歴史-古代編5-】弥生時代の巨大集落 2016.05.06 UP 古代編 中野の歴史 稲作がはじまった弥生時代は、安定した食糧生産のため大規模な拠点的集落が成長し、首長も登場します。 中野区では弥生時代後期(1世紀後半~3世紀初頭)の拠点的集落が発見されています。北部では266軒の竪穴住居跡・高床倉庫3棟・方形周溝墓(首長の墓)6基が検出された妙正寺川流域の…
【中野の歴史-古代編4-】意外に豊かな縄文時代? 2016.04.22 UP 古代編 中野の歴史 縄文時代というと、毛皮の服を着て、ひげモジャモジャで石器を持って動物を追いかけたり、魚をとっていたりしている印象がありますが、文化的で豊かな生活だったことが区内の出土品で分かっています。なんと漆塗りの木製品を使っていたのです。 北江古田遺跡(現在の北江古田公園)では縄文時代…
【中野の歴史-古代編3-】中野区最古の住民は? 2016.04.15 UP 古代編 中野の歴史 中野区域にいつから人がいたのでしょうか。歴史では約12,000年前までは旧石器時代にあたります。人々は火山灰(関東ローム層)がはらはらと降下する過酷な自然環境の中で暮らしていました。このような状況ですので食料資源も乏しく煮て食するものもほとんどありませんでした。そのため煮る道具で…
【中野の歴史-古代編2-】原始中野は寒かった? 2016.04.08 UP 古代編 中野の歴史 松本清張の短編小説に「石の骨」という作品があります。原人の骨を発見した主人公が、閉鎖的な学会にその成果を否定されながらも、在野の研究者としての道を歩んでいくという物語です。 主人公のモデルとなったのは、松が丘一丁目に居住されていた直良信夫博士(1902~85)であることを御…
【中野の歴史-古代編1-】坂が多いのはなぜ? 2016.04.01 UP 古代編 中野の歴史 中野区を南北に歩くと、坂が多いことに気づきます。それはなぜでしょう。 今から約7~10万年前、西は青梅、南は現在の多摩川の辺りまで一面が海でした。その頃から、富士山・箱根山が盛んに噴火を続けて、大量の火山灰を噴き出し、噴煙は偏西風に乗って東側に流れ、細かな火山灰(関…