2020.11.10〜2020.12.19 歴史民俗資料館 館蔵品展「裁縫(さいほう)ひな形」 2020.10.30 UP 西武新宿線沿線東エリア イベント 近代編 観光スポット 中野の歴史 小さき衣服(ミニチュア)の精緻な美技 館蔵品展「裁縫(さいほう)ひな形」2020年11月10日(火)~12月19日(土) 裁縫ひな形は、明治から昭和にかけて、裁縫学校などで作られた衣服のミニチュアで、 縫製技術を正確・短時間・効率的に身につけることができました。 明治以降…
2020.07.14〜2020.08.30 歴史民俗資料館 コーナー展「オリンピック展」 2020.07.09 UP 西武新宿線沿線東エリア イベント 近代編 中野の歴史 コーナー展「オリンピック展」令和2年 7月14日(火)~8月30日(日) 国を挙げて盛り上がりを見せた1964年のオリンピック。ガイドブックや記念品などから当時の様子をたどります。オリンピック道路の建設風景や区内を走った聖火リレーの写真などを展示します。 常設展示をリニューア…
2019.06.26〜2019.08.04 歴史民俗資料館 コーナー展「昭和の東京オリンピックと中野のくらし」 2019.06.14 UP 西武新宿線沿線東エリア イベント 近代編 中野の歴史 当時の人・モノ・暮らしを振り返ります。 コーナー展「昭和の東京オリンピックと中野のくらし」2019年6月26日(水)~8月4日(日) 昭和39(1964)年に開催された東京オリンピックは、その前後の人々の暮らしに大きな影響を与えました。当時の写真や生活用品から、オリンピックと中…
【中野の歴史-近代編12-】平和の象徴「旧豊多摩刑務所」 2017.02.03 UP 近代編 中野の歴史 新井3丁目には昭和58年(1983)まで「中野刑務所」がありました。刑務所というと聞こえは悪いですが、戦後日本の平和の礎となった、あるいは支えた人々が収監されていたところでもあるのです。 この刑務所は江戸幕府の「小伝馬町牢屋敷」からはじまり「市谷監獄」経て大正4年(…
【中野の歴史-近代編11-】区民が成功させた区画整理事業 2017.01.27 UP 近代編 中野の歴史 大正年間以来、中野区は急激に人口が増えてきましたが、元々農村地帯だった土地柄のため、農道は直線ではなく、田畑のあぜ道がそのまま街路になったりと、整備が必要になってきました。 そこで、大正15年(1926)には桃園川沿い(35.4ha)、昭和2年(1927)には神…
【中野の歴史-近代編10-】大都市東京発展のシンボル-野方配水塔 2017.01.20 UP 近代編 中野の歴史 大正時代頃の中野区は農村地帯でしたので、飲料水は井戸水に頼っていました。当時の東京では玉川上水の水を淀橋浄水場(現在の新宿中央公園)で浄化して水道水としていましたが、23区東部に配水され、農村地帯であった西部一帯には水道はありませんでした。 東京は近代都市として…
【中野の歴史-近代編9-】東中野駅、開かずの踏切30年物語 2017.01.13 UP 近代編 中野の歴史 鉄道には開かずの踏切がつき物ですが、東中野駅東側にあった桐ケ谷踏切はその中でも最高クラスでした。東中野駅は、明治39年(1906)に柏木停車場として開設され、大正6年(1917)に現在の名称となりました。 関東大震災以降、中央線の走行車両は増加し、そのため踏切に…
【中野の歴史-近代編8-】移転した中野駅-駅前広場は掘られてできた 2017.01.06 UP 近代編 中野の歴史 大正元年(1912)の中野駅の昇降客は一日平均1,981人でしたが、大正10年(1921)には6,752人に膨れ上がります。大正12年(1923)の関東大震災は人口の郊外流出のきっかけとなり、昭和元年(1926)にはなんと17,406人と激増しました。 当時、今…
【中野の歴史-近代編7-】 中野駅は今より西側にあった 2016.12.23 UP 近代編 中野の歴史 明治22年(1889)にできた中野停車場(現在の中野駅)は今より、約100mほど西側にありました。その頃の中野駅は、一面の雑木林とわずかな畑といった広漠たる武蔵野の原野でした。 さて、駅は出来ましたが駅前が発展するのには少し時間がかかりました。それは、今まで40…
【中野の歴史-近代編6-】 真理の探究-東京都指定名勝哲学堂公園- 2016.12.16 UP 近代編 中野の歴史 明治時代、急激な西洋化は、日本の伝統的な考え方に大きな変化を与えました。西洋・東洋の哲学を融合し、そこに人間の生きる道を見出し、哲学を万民のものに普及しようとする哲学者井上円了は、中野区和田山(現在の松が丘)に「哲学堂」を建てました。 哲学堂は明治3…