この道をバスが通過していた? 中野を走っていた幻のバスルートを求めて

昭和7年中野駅舎

区民レポーターのイマヤスです。

今回は、中野区を走るバス路線の歴史に関して触れていきたいと思います。

さて、2019年に中野駅開業130周年を記念して色々な催し物が行われています。
現在では中野区をJR中央線を始め、西武新宿線、東京メトロ丸ノ内線、東西線、都営大江戸線と様々な路線が乗り入れています。

2019年現在の中野駅南口

2019年現在の中野駅南口

また鉄道と同様に中野区民の多くが利用しているものの1つにバス路線があります。
『中野町誌』によると古いものでは、今から約100年程前の大正後期から既に幾つかの会社が乗合自動車として現在の区内を走行していたらしく、その中の幾つかは統廃合を繰り返し、現在まで続く路線や停留所として存在しているようです。

今回はその中でも『中野町誌』にも記載されている「大正乗合自動車」をご紹介していきたいと思います。

「大正乗合自動車」は『中野町誌』によると、中野坂上~宮園通り(現大久保通り)~中野駅~浦和道(現平和公園通り)~沼袋駅~東京市療養所(現江古田の森公園)を主として通過して練馬駅に至ると記載があります。
昭和7年6月に「大正乗合自動車株式会社」として開業し、運営時間は午前6時より午後10時まで乗車賃金は一区間金5銭とされています。

昭和7年中野駅舎

昭和7年の新しい中野駅駅舎。ロータリーにはバスが停留している。(写真提供:中野区)

更に『中野区史下巻』には下記の様に詳細が記載されていました。また別の文献『江古田今昔』に寄ると人力車の店主達が発起して大正13年にダット号8人乗りの小型バス2台で運営を開始し、事務所と車庫は中野駅前に認可が下りず新井613(現早稲田通り中野体育館北交差点の北側付近)に事務所と車庫を構えたという記載もあります。

・昭和11年5月31日に東横乗合自動車に合併され、宮園通り1丁目(現東中野1~2丁目辺り)に営業所が存在。

・中野坂上-丸山(現在の沼袋交差点近辺と推測)間、中野駅-丸山間にも路線が存在。

【大正乗合自動車営業所】

昭和14年7月1日当時
従業員59名
(主任1名、運転手23名、車掌24名、事務員4名、技工2名、助手5名)
車両19両
同年上半期の乗降客数は
2か月平均316,821人
1日平均10,567人

【中野坂上-練馬駅間の各停留所】

始発:中野坂上→塔ノ山→六天橋→氷川下→宮園車庫前→宝仙寺下→学校前→二幸前→三味線橋→千光前→桃園橋→中野駅前→中野駅北口→新井町→電信隊裏→福田眼科前→新井中通→稲荷湯前→刑務所前→刑務所下→沼袋駅前→百観音下→江古田四丁目→貞源寺→小学校前→市療養所前→徳田→中新井中通→下新街→→江古田橋→終点:練馬駅

 上記文献を参考にしていきますと停留所の名称でおおよその場所は推測できるのですが、更に調べていく中で中野区立中央図書館にある『昭和十六年大東京三十五区区分修図集成』内の中野区の地図を見ると、乗合自動車の表記にしっかりと「練馬駅-中野坂上間」と記載があるルートを発見しました。

下記は各文献を参考に、大正乗合自動車のルートと停留所を現在のGoogleマップに落とし込んだ地図になります。
※一部推定箇所含

©Google MAP

↑画像をクリックすると詳細なGoogleマップに飛びます。

大正乗合自動車と呼ばれるものが、現在皆さんのご利用になられているバスの起源の1つとも呼べるものかもしれません。
次回から『中野区史下巻』、『昭和十六年大東京三十五区区分修図集成』、更には古地図アプリ「東京時層地図」の昭和初期の地図を参考に、バスが走っていた推定ルートと停留所跡を数回に分けて実際に歩いてみたいと思います。

参考文献・アプリ(リンク先:中野区立図書館デジタルアーカイブ)
『中野町誌』
『中野区史下巻2』
『江古田今昔』
『昭和十六年大東京三十五区区分修図集成』
『東京時層地図』