この道をバスが通過していた? 中野を走っていた幻のバスルートを求めて2

中野駅南口

前回紹介しました大正乗合自動車の想定ルートと停留所ですが、
現在はどの様になっているかをまずは中野坂上-中野駅間を実際に歩いていきたいと思います。
「この道をバスが通過していた? 中野を走っていた幻のバスルートを求めて」

【大正乗合自動車/中野坂上ー練馬駅区間想定ルート】

©Google MAP

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 中野坂上【始発:中野坂上】
現在は交通量が多い場所ですが『東京時層地図』昭和初期の古地図を見ると、青梅街道と交差する山手通りの北側にまだ道は伸びておらず、交差点近辺に都電と共に停留所が存在したと思われます。






 

塔ノ山【塔ノ山】
2021年完成予定の中野東中学校新校舎付近にあったと推定されます。
『昭和十六年大東京三十五区区分修図集成』にも停留所の表記があります。

 

 

  

六天橋【六天橋】
塔ノ山からの道と宮園通り(現大久保通り)が交差する付近にあったと推定されます。
『昭和十六年大東京三十五区区分修図集成』にも停留所の表記があります。
名称由来は、交差点より少し北側の現在暗渠となっている桃園川の支流に架かっていた第六天橋から取られたものと思われます。




氷川下【氷川下】
宮園通り(現大久保通り)と現在の山手通りが交差する付近にあったと推定されます。
『昭和十六年大東京三十五区区分修図集成』にも停留所の表記があります。
名称由来は、交差点より北側にある中野氷川神社から取られたものと思われます。





 宮園車庫前?【宮園車庫前】
正確な場所がわからないのですが、『中野区史下巻』、宮園通り1丁目(現東中野1~2丁目辺り)に営業所があったという記述を元にこの付近に停留所があったと推定されます。
写真は現在の路線バスが停まる東中野二丁目の停留所になります。





 

宝仙寺下

【宝仙寺下】
青梅街道沿いから宝仙寺横の道から現在の実践学園高校側を下って、宮園通り(現大久保通り)と交差する付近にあったと推定されます。
『昭和十六年大東京三十五区区分修図集成』にも停留所の表記があります。





小学校前

【小学校前】
宮園通り(現大久保通り)すぐ側の谷戸小学校があった付近にあったと思われます。






 

 

二幸前?

【二幸前】
『昭和十六年大東京三十五区区分修図集成』によると、現在の堀越学園前の交差点付近にあったと推定されます。
ただ、この二幸というのが何を指しているのかを、現段階では確認出来ませんでした。






三味線橋【三味線橋】
宮園通り(現大久保通り)と現もみじ山通りが交差する付近にあったと推定されます。名称由来は、交差点より南側を流れていた、現在暗渠となっている桃園川に架かる三味線橋から取られたものと思われます。
三味線橋自体の名称に関しては、いずれまた別の回で記事にしようと考えてます。

 

 




【千光前】
千光前
宮園通り(現大久保通り)と交差する道を北側に進むと千光前町(現中野2丁目)付近に達する事から取られた名称と思われます。
『昭和十六年大東京三十五区区分修図集成』にも停留所の表記があります。





 

桃園橋中野五差路【桃園橋】
宮園通り(現大久保通り)と現中野通りが交差する五差路付近にあったと推定されます。
名称由来は、南側を流れていた、現在暗渠となっている桃園川に架かる桃園橋から取られたものと思われます。
『昭和十六年大東京三十五区区分修図集成』にも停留所の表記があります。



中野駅南口【中野駅前】
現中野通りの中野駅南口のロータリーにあったと推定されます。
名称由来は、まさに中野駅の目の前にあった事と旧町名の中野駅前町から付けられたと思われます。


 
昭和7年中野駅舎前回も紹介した昭和7年の新しい駅舎の写真ですが、中野通りを南北に通り抜けが出来る様に掘り下げた工事が終わって、間もない頃と推測されます。

 ロータリーに停留しているバスが大正乗合自動車のものかはわかりませんが、文献に記載されている『ダット号8人乗りの小型バス』とまさにサイズが同じ様に見受けられます。
※写真提供:中野区

ひとまず中野駅まで歩いてやってきたわけですが、大久保通りは現在も複数のバス路線が走っている為、それほど違和感無く推定ルートと停留所をたどる事が出来ました。

さて次回は中野駅北口から西武新宿線沼袋駅までを辿りたいと思います。

参考文献・アプリ(リンク先:中野区立図書館デジタルアーカイブ)
『中野町誌』
『中野区史下巻2』
『江古田今昔』
『昭和十六年大東京三十五区区分修図集成』
『東京時層地図』