この道をバスが通過していた? 中野を走っていた幻のバスルートを求めて【中野駅北口-沼袋駅前間】

中野区では約100年程前の大正後期から、既に幾つかの会社が乗合自動車として現在の区内を走行していたらしく、路線や停留所のいくつかは今でも存在しているようです。

今回はその中でも『中野町誌』にも記載されている「大正乗合自動車」が運行していた想定ルートと停留所が、現在はどの様になっているかを中野駅北口-沼袋駅前間を実際に歩いて辿っていきたいと思います。

【大正乗合自動車/中野坂上ー練馬駅区間想定ルート】

©Google MAP 

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中野駅北口【中野駅北口】
戦前にあった中野電信隊の入口近くにあったと推定されます。
『昭和十六年大東京三十五区区分修図集成』にも停留所の表記があります。

 

 



新井町【新井町】
中野通りと昭和通り(現早稲田通り)が交差する手間近辺にあったと推定されます。
現在では付近には新井交差点南という停留所があります。





電信隊裏【電信隊裏】
当時の電信隊敷地内であった現中野体育館北交差点付近にあったと推定されます。
この交差点の北側部分に大正乗合自動車の事務所と車庫があったと『中野区史下巻』に記載があります。




【福田眼科前】
この停留所から、現在では存在しないバスルートである浦和道(現平和公園通り)を北上していきます。
まさに名称のまま、福田眼科の前に停車していたと推定されます。
福田眼科は現在も続く医院です。




【新井中通】
正確な場所がわからなかったのですが、古くから近所にお住いで、このバス路線の事を覚えている方にお話をお伺いでき、この辺りに停留所があった事を教えてもらいました。
浦和道(現平和公園通り)と東西に交差するこの道は江戸時代から存在していたので、当時は主要道路の1つだったのかもしれません。



【稲荷湯前】
かつて通りから1本奥の道に入った場所にあった稲荷湯から、その名称が付けられたと推定されます。
現在その場所にはマンションが建っていて、稲荷湯の名称の由来になった稲荷神社も鳥居を残して合祀され別の場所に移っています。




【刑務所前】
現在の平和の森公園に1983年(昭和58年)まで存在した中野刑務所から付けられた名称と推定されます。


 



【刑務所下】
現在の平和の森公園入口付近にあったと推定されます。
これより北の沼袋駅を通過してからの商店街通りは道幅が狭く、現在は新青梅街道の沼袋交差点より南下のみの一方通行となっています。





【沼袋駅前】
1927年(昭和2年)に開業した西武新宿線沼袋駅にあった停留所になります。
『昭和十六年大東京三十五区区分修図集成』を見ると、北口方面にロータリーがあったと推定されます。





平和公園通りから、現在では存在しないバスルートとなっていき、昭和初期の中野区の主要道路の変遷や乗降の徐々に感じ取れる様になりました。
次回の最終回では沼袋駅前から終点の練馬駅までの想定ルートと停留所を辿りたいと思います。

参考文献・アプリ(リンク先:中野区立図書館デジタルアーカイブ)
『中野町誌』
『中野区史下巻2』
『江古田今昔』
『昭和十六年大東京三十五区区分修図集成』
『東京時層地図』

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