桃園川の暗渠(あんきょ)の上を歩く2【宮園橋-桃園橋】

前回の【西田橋-鳥見橋】に続いて、現在の中野駅南口から大久保通りや中野通り付近にあった橋梁を紹介したいと思います。

また補足として、個人的に杉並区~中野区の流れを支流も含め橋梁があった場所がわかる範囲でまとめた地図もこちらに掲載しておきます。

桃園川水系橋梁予想地図(支流含)

※過去の資料は文献に寄って異なる記載が多く見受けられる事を予めご了承下さい。

【宮園橋】
名称の由来は宮園通り(現大久保通り)に架かる橋梁の為、この名称が付けられたものと思われます。
現在も「昭和7年5月完成」と記載された橋梁の親柱と欄干が残されています。
また中野町誌には桃園川ではなく宮園川という名称で記載されています。
橋梁近くに残されている竣功プレートには「宮園橋~北畑橋 昭和62年3月」と記載があり、橋梁単位で上流から緑道化されていったのが判断できる記載となっております。



 宮園橋欄干

宮園橋親柱竣功プレート

宮園橋ー北畑橋間緑道竣功プレート

宮園橋の掲載資料
町名:宮園5-8
橋長:6.8m
幅員:10.9m
面積:74.12㎡
橋種:混凝土
河川名:宮園川
中野町誌(昭和8年)より

種別:鉄筋混凝土桁橋
位置:宮園通5-8、宮園通5-14
面積:67.21㎡
河川名:桃園川
中野区史(昭和19年)より

 【かう志ん橋/庚申橋】
桃花小学校の前に残されている橋梁になります。
「大正13年1月26日成」と記載された親柱と欄干が残されています。
関東大震災から約半年後に造られたコンクリート製の橋梁で、区内で現存する最古の橋梁の痕跡と思われます。
昭和初期に河川の改修が行われた為か、中野区史には「在来下水」として記載されています。


 

 かう志ん橋の欄干

かう志ん橋親柱竣功プレート

かう志ん橋/庚申橋の掲載資料
町名:宮園(宮園通)5-11
橋長:4.0m
幅員:3.9m
面積:15.6㎡
橋種:混凝土
河川名:宮園川
中野町誌(昭和8年)より

種別:鉄筋混凝土
位置:宮園町5-8、橋場町58
面積:16.6㎡
河川名:在来下水
中野区史(昭和19年)より

 

【公園橋】
名称の由来は橋梁を渡った場所に橋場公園があった為に付けられたものと思われます。
町誌や区史には記載がない為、桃園川に架かる一番新しい橋梁だった事も推定されます。






 

 橋場橋を渡った先にある橋場公園

 

橋場橋の掲載資料
架設年度:昭和37年/1962年
橋長:6.61m
中野区橋梁長寿命化修繕計画(平成25年5月)より


【桃園橋】
名称は、古くは鳥見橋でも少し触れましたが徳川8代将軍吉宗が、鷹狩りでこの地に訪れた際に、多くの桃の木を植えさせ、「桃園」という名称を付け庶民にも楽しめる一大行楽地にした事が由来と思われます。
江戸名所図会「桃園春興」でも、その様子を伺い知る事が出来ます。
現在も「昭和11年2月完成」と記載された橋梁の親柱と欄干が残されています。
中野通りの五差路近くに架かっていた橋梁の為、区民の皆さんも知らず知らずのうちに側を通っている方が多いかと思われます。


桃園橋の欄干

桃園橋親柱竣功プレート

 

桃園橋の掲載資料
路線名:中野・蕨線
町名:中野町
橋長:5.5m
幅員:4.65m
面積:25.58㎡
橋種:木橋
河川名:善福寺分流
中野町誌(昭和8年)より

種別:鋼鉄桁橋
位置:宮園通3-23、橋場町44
面積:100.8㎡
河川名:桃園川
中野区史(昭和19年)より

 

更にこの後も下流に向けて橋梁を引き続き紹介していきたいと思います。

参考文献・アプリ(リンク先:中野区立図書館デジタルアーカイブ)
『中野町誌』
『中野区史下巻2』
『中野区報』
『中野区橋梁長寿命化修繕計画』

『東京時層地図』

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※掲載情報は全て記事公開当時のものです。