桃園川の暗渠(あんきょ)の上を歩く4【箱堰橋-北裏橋】

前回の【橋場橋-御伊勢橋】に続いて、現在の中野通りを横切り、大久保通りに沿う様に下流に進む途中にある橋梁を紹介したいと思います。

また補足として、個人的に杉並区~中野区の流れを支流も含め橋梁があった場所がわかる範囲でまとめた地図もこちらに掲載しておきます。
桃園川水系橋梁予想地図(支流含)
※過去の資料は文献に寄って異なる記載が多く見受けられる事を予めご了承下さい。


【箱堰橋】
名称の由来は、この場所に桃園川に堰(せき)があった事と推測されます。
堰とは様々な形や用途がありますが、元々は河川の流路や勢いをある程度調整する為に設置されていたものになります。
古地図アプリ『大江戸今昔めぐり』や『東京時層地図』で確認すると明治初期はここで桃園川は二股に分かれ、他の支流と合流して別のルートを辿って流れている事がわかります。
明治終わり頃の地図では流路は1本化されてますが、昭和初期の改修工事がされるまでは、この場所で急激に向きが変わる為に、水の流れを抑える為に堰が必要な氾濫しやすい場所だったのかもしれません。

町名:同(宮園通)3-35
橋長:7.984m
幅員:4.0m
面積:31.936㎡
橋種:混凝土
河川名:宮園川
中野町誌(昭和8年)より

種別:鉄筋混凝土桁橋
位置:宮園町3-39、上町32
面積:36.73㎡
河川名:桃園川
中野区史(昭和19年)より

架設年度:昭和35年/1960年
橋長:9.70m
中野区橋梁長寿命化修繕計画(平成25年5月)より

【上町橋】
名称の由来は、この辺りの旧町名であった上町から取ったと推測されます。
昭和初期に設置された橋梁の様です。







種別:木桁橋
位置:宮園町3-37、上町27
面積:19.94㎡
河川名:桃園川
中野区史(昭和19年)より

架設年度:昭和35年/1960年
橋長:6.75m
中野区橋梁長寿命化修繕計画(平成25年5月)より

補修工事:
上町22
9月中旬完成予定
中野区報第164号(昭和33年9月10日)より 

【三味線橋】
名称の由来は、この辺りを通るといつも近くから三味線の音色が聞こえてきた事から三味線橋と呼ばれる様になったとされます。
新井薬師の参詣道としてこの橋もかなり古く、古地図アプリ『大江戸今昔めぐり』でも確認する事が出来ます。
三味線の音色が聞こえていた理由には諸説ありますが、『中野の昔話・伝説・世間話』によると、芝からこの橋の近くに移り住んだ奥医師だった宮泰安の妻であったミツが弾いたモノが聞こえてきたという話が載っています。
また、橋梁の由来の碑が唯一存在します。

三味線橋の由来碑

町名:宮園(宮園通)3-27
橋長:5.0m
幅員:9.5m
面積:47.5㎡
橋種:混凝土
河川名:宮園川
中野町誌(昭和8年)より

種別:鉄筋混凝土床版
位置:宮園町3-31、上町22
面積:49.88㎡
河川名:桃園川
中野区史(昭和19年)より

架設年度:昭和34年/1959年
橋長:6.62m
中野区橋梁長寿命化修繕計画(平成25年5月)より

【北裏橋】
名称の由来は不明ですが、昭和初期に設置された橋梁の様です。
近くの千代の湯という銭湯がよくドラマ等で撮影に使用されている為か、北裏橋近くの桃園川緑道内にある遊具もたまにTVで見掛ける事があります。

 

 

 

北裏橋近くの遊具

 

種別:木桁橋
位置:宮園町3-21、仲町14
面積:24.81㎡
河川名:桃園川
中野区史(昭和19年)より

架設年度:昭和34年/1959年
橋長:6.85m
中野区橋梁長寿命化修繕計画(平成25年5月)より

長年、桃園川の橋梁を調べていますが、この辺りになると名称の由来がいまだにわからない箇所が幾つかあります。
下流に向けて橋梁を引き続き紹介していきつつ、橋梁について新たな情報が入ったらお知らせしていきます。

参考文献・アプリ(リンク先:中野区立図書館デジタルアーカイブ)
『中野町誌』
『中野区史下巻2』
『中野区報』
『中野区橋梁長寿命化修繕計画』
『中野の歴史
『なかのの地名とその伝承』
『中野の昔話・伝説・世間話』
『続中野の昔話・伝説・世間話』

『東京時層地図』
『大江戸今昔めぐり』

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※掲載情報は全て記事取材当時のものです。