桃園川の暗渠(あんきょ)の上を歩く5【仲園橋-金剛橋】

前回の【箱堰橋-北裏橋】に続いて、現在の中野通りを横切り、大久保通りに沿う様に下流に進む途中にある橋梁を紹介したいと思います。

また補足として、個人的に杉並区~中野区の流れを支流も含め橋梁があった場所がわかる範囲でまとめた地図もこちらに掲載しておきます。
桃園川水系橋梁予想地図(支流含)
※過去の資料は文献に寄って異なる記載が多く見受けられる事を予めご了承下さい。

【仲園橋】
名称の由来は、この場所が旧町名である仲町と宮園通り(現大久保通り)の境だった事から一文字ずつ取って付けられたものと推測されます。




種別:木桁橋
位置:宮園通3-11、仲町13
面積:23.86㎡
河川名:桃園川
中野区史(昭和19年)より

架設年度:昭和34年/1959年
橋長:6.97m
中野区橋梁長寿命化修繕計画(平成25年5月)より

【慈眼堂橋】
名称の由来は、青梅街道付近にある慈眼寺が建立された天文2年(1544年)当初は、現在の中央2丁目辺りにあった事からと言われています。
江戸時代には現在地に移転しましたが、近くを流れていた桃園川に架けられた橋梁はそのまま名称が残ったようです。
慈眼寺のHP内にある慈眼寺の歴史にも同様に記載がされています。


 

慈眼堂橋近くの桃園川緑道案内地図

路線名:中野・新井線
町名:中野町
橋長:5.76m
幅員:5.45m
面積:31.39㎡
橋種:木橋
河川名:善福寺流
中野町誌(昭和8年)より

種別:木桁橋
位置:宮園町2-3、仲町8
面積:37.82㎡
河川名:桃園川
中野区史(昭和19年)より

架設年度:昭和33年/1958年
橋長:6.62m
中野区橋梁長寿命化修繕計画(平成25年5月)より

 【金渓橋】
名称の由来は不明です。
古い資料にも記載が無く個人的に調査をしている中でも、由来に繋がる情報が見つからない橋梁です。







架設年度:昭和32年/1957年
橋長:7.11m
中野区橋梁長寿命化修繕計画(平成25年5月)より

【金剛橋】
名称の由来は不明ですが『中野町誌』を始め古い文献を読み解いていく中で考えられるのが、江戸時代から昭和初期まで区内にも多く点在したであろう青面金剛庚申塔が道標として近くにあったのではないかと推測しています。
区画整理での移転や、搭山庚申塔の様に戦災で破壊されてしまったと考えておりますが、こちらも今後文献を色々と調査する必要があります。



金剛橋親柱竣功プレート

町名:宮園2-9
橋長:5.9m
幅員:5.6m
面積:33.04㎡
橋種:混凝土
河川名:宮園川
中野町誌(昭和8年)より

種別:鉄筋混凝土
位置:宮園町2-13、宮前町20
面積:31.88㎡
河川名:桃園川
中野区史(昭和19年)より

架設年度:昭和32年/1957年
橋長:6.35m
中野区橋梁長寿命化修繕計画(平成25年5月)より

この辺りは名称の由来がわからない橋梁が多いですが、もしそこを解明出来たら、中野の失われた歴史に辿り着く事が出来るかもしれません。下流に向けて橋梁を引き続き紹介していきつつ、橋梁について新たな情報が入ったらお知らせしていきます。

参考文献・アプリ(リンク先:中野区立図書館デジタルアーカイブ)
『中野町誌』
『中野区史下巻2』
『中野区報』
『中野区橋梁長寿命化修繕計画』
『中野の歴史
『なかのの地名とその伝承』
『中野の昔話・伝説・世間話』
『続中野の昔話・伝説・世間話』

『東京時層地図』
『大江戸今昔めぐり』

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※掲載情報は全て記事取材当時のものです。