桃園川の暗渠(あんきょ)の上を歩く7【宮下橋-睦橋】

前回の【宝仙橋-塔ノ下橋】に続いて、大久保通りに沿う様に下流に進む途中にある橋梁を、山手通りと交差する場所から紹介したいと思います。

また補足として、個人的に杉並区~中野区の流れを支流も含め橋梁があった場所がわかる範囲でまとめた地図もこちらに掲載しておきます。
桃園川水系橋梁予想地図(支流含)
※過去の資料は文献に寄って異なる記載が多く見受けられる事を予めご了承下さい。

 

【宮下橋】
現在の山手通りに架かる橋で、名称の由来は中野氷川神社の近くにあった事からと推測されます。
桃園川緑道で唯一、橋梁があった事を示す支柱やモニュメントが無い場所ですが、交差点にその名を残しています。
また桃園川の杉並区内の馬橋稲荷神社近くの流路にも、同じ名称の宮下橋が架かっていました。


路線名:淀橋・白子線
町名:中野町
橋長:7.0m
幅員:6.4m
面積:44.806㎡
橋種:木橋
河川名:善福寺分流
中野町誌(昭和8年)より

種別:木桁橋
位置:宮園通1-19、塔ノ山19
面積:43.80㎡
河川名:桃園川
中野区史(昭和19年)より

 
【立田橋】
名称の由来は今回調べたかぎりではわかりませんでした。
古地図アプリの東京時層地図を見ると、昭和戦前期(約90年前)には架かっていた事を確認できます。
更に下流にある別の橋梁でお話しますが、建設当時この地にあった田んぼ由来の橋梁名であったと推測されます。




【塔ノ下橋】で説明した、江戸名所図会に描かれた中野の三重塔が描かれた石碑

 

町名:宮園(宮園通1)
中野町誌(昭和8年)より

種別:木桁橋
位置:宮園町1-13、塔ノ山町11
面積:30.48㎡
河川名:桃園川
中野区史(昭和19年)より

架設年度:昭和37年/1962年
橋長:8.84m
中野区橋梁長寿命化修繕計画(平成25年5月)より

 

【戸井橋】
名称の由来は今回調べたかぎりではわかりませんでした。
古地図アプリの大江戸今昔マップを見ると、江戸時代に架かっていた事を確認できます。
現在の区検通りに架かっています。





路線名:中野・板橋線
町名:中野町
橋長:7.1m
幅員:9.4m
面積:66.74㎡
橋種:鉄筋混凝土
河川名:善福寺支流
中野町誌(昭和8年)より

種別:鋼鈑桁橋
位置:宮園通1-7、塔ノ山10
面積:68.98㎡
河川名:桃園川
中野区史(昭和19年)より

架設年度:昭和30年/1955年
橋長:9.00m
中野区橋梁長寿命化修繕計画(平成25年5月)より

 

【睦橋】

名称の由来は今回調べたかぎりではわかりませんでした。
古地図アプリの東京時層地図を見ると、この近辺で桃園川が支流と合流する場所になります。

架設年度:昭和40年/1965年
橋長:9.24m
中野区橋梁長寿命化修繕計画(平成25年5月)より

 

『中野町誌』
『中野区史下巻2』
『中野区報』
『中野区橋梁長寿命化修繕計画』
『中野の歴史
『なかのの地名とその伝承』
『中野の昔話・伝説・世間話』
『続中野の昔話・伝説・世間話』

『東京時層地図』
『大江戸今昔めぐり』

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