桃園川の暗渠(あんきょ)の上を歩く8【小淀橋-末広橋】

前回の【宮下橋-睦橋】に続いて、大久保通りに沿う様に下流に進む途中にある橋梁を、神田川合流地点まで紹介したいと思います。

また補足として、個人的に杉並区~中野区の流れを支流も含め橋梁があった場所がわかる範囲でまとめた地図もこちらに掲載しておきます。
桃園川水系橋梁予想地図(支流含)
※過去の資料は文献に寄って異なる記載が多く見受けられる事を予めご了承下さい。

 

【小淀橋】
名称の由来は、この辺りの旧町名であった小淀町から取ったと推測されます。
古地図アプリの東京時層地図を見ると、昭和戦前期(約90年前)までこの近辺に神田川支流も流れている事が確認できます。

架設年度:昭和33年/1958年
橋長:11.04m
中野区橋梁長寿命化修繕計画(平成25年5月)より


【田替橋】
名称の由来は、この場所にあった田んぼが氾濫の度に場所が変わった為、
「田んぼが替わる=田替」
と付けられたと文献に記載されています。
また中野区報第139号(昭和33年2月10日)には、橋梁が補修されたという記載もあります。





町名:小淀24
橋長:6.0m
幅員:4.0m
面積:24.㎡
橋種:混凝土
河川名:
中野町誌(昭和8年)より

種別:鉄筋混凝土床版
位置:宮園町1-1、小淀町21
面積:23.1㎡
河川名:桃園川
中野区史(昭和19年)より

架設年度:昭和32年/1957年
橋長:9.02m
中野区橋梁長寿命化修繕計画(平成25年5月)より


【末広橋】
末広橋名称の由来は「桃園川と神田川が合流する(大きく広がっていく)場所であったため」や、「当時のこの地の形状から」等、文献によって諸説ある様です。
因みに妙正寺川と神田川が合流する場所では、河川が落ち合うという事から付いた「落合」という地名が現在も残っています。
橋梁近くの緑道には、昭和48年に南こうせつとかぐや姫が発表し大ヒットした楽曲『神田川』歌碑があります。

 

神田川歌碑

桃園川・神田川合流地点

  8回に渡る長期連載で、桃園川に架かっていた橋梁を紹介してきましたが如何でしたでしょうか?
時代と共にその流路や名称も変わっていった河川ですが、暗渠化された現在でもその痕跡を確認する事が出来ます。
支流も含めると他にも多くの橋梁があった事が見受けられますが、名称の由来含め今後も調査を続けていきたいと思います。

参考文献・アプリ(リンク先:中野区立図書館デジタルアーカイブ)
『中野町誌』
『中野区史下巻2』
『中野区報』
『中野区橋梁長寿命化修繕計画』
『中野の歴史
『なかのの地名とその伝承』
『中野の昔話・伝説・世間話』
『続中野の昔話・伝説・世間話』

『東京時層地図』
『大江戸今昔めぐり』

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