その昔、中野区経済の中心にあった「宝仙寺」

宝仙寺に着くと仁王像が出迎えます。

宝仙寺に着くと仁王像が出迎えます。

東京メトロ丸ノ内線・都営大江戸線「中野坂上駅」から青梅街道を新中野に向かって200m進み、右に曲がると宝仙寺が見えてきます。徒歩5分ほどの道のりです。

創建は平安後期の寛治年間(1087〜1094年)と言われ、源義家によって現在の杉並区に建てられました。源義家が護持していた不動明王像を安置するために建てたと伝えられています。その後、室町時代に現在の場所に移ってきました。
現在本堂には鎌倉期の不動明王を中心に五大明王像が安置されています。

敷地の中央に鎮座する「本堂」。源義家が護持していた不動明王像を安置するために建てたと伝えられています。

敷地の中央に鎮座する「本堂」。源義家が護持していた不動明王像を安置するために建てたと伝えられています。

江戸初期の寛永13年(1636年)には三重塔が建立され、江戸庶民にも親しまれていました。

立ち姿が美しい「三重塔」

立ち姿が美しい「三重塔」

中野区と新宿区の間を流れる神田川には江戸時代から水車が設けられて、そば粉を引くことに使われていたそうです。そばの一大消費地となった江戸に向けて玄そばが全国から集められ、ここ中野で製粉されたとのこと。東京中のそばが中野から供給されたため、中野そばとまでいわれるようになったそうです。
その後機械化によって使われなくなった石臼が道端に放置されるようになり、そのころの宝仙寺住職が「人の食のために貢献した石臼を大切に供養すべきである」として、この「石臼塚」が作られたそうです。

かつて中野に住んだ人々の生活が垣間見える「石臼塚」

かつて中野に住んだ人々の生活が垣間見える「石臼塚」

宝仙寺には明治28年(1895年)から昭和の初期まで中野町役場が、その後区役所が境内に置かれたとのこと。まさに中野の中心的な場所だったんですね。
★境内にある中野町役場跡について詳しくはコチラ

中野町役場跡の石碑。

中野町役場跡の石碑。

宝仙寺
住所 中野区中央2丁目33−3
アクセス 東京メトロ丸ノ内線・都営大江戸線「中野坂上」駅から徒歩5分
電話 03-3371-7101

★2019年の除夜の鐘についての情報はコチラ

★公式サイトはコチラ

※問い合わせ先の記載がない記事については、まるっと中野編集部までお問い合わせ下さい。
掲載場所近隣の区民の皆様に直接お問い合わせすることはご遠慮いただきますよう、お願い申し上げます。

※掲載情報は全て記事取材当時のものです。