【中野人インタビュー】能楽師・四世 梅若実さん

今年2月、70歳の節目に、能楽界の隆盛に尽力した曾祖父と祖父の名跡を継いだ、能楽師の四世・梅若実さん。人気と実力を備えた能楽界の第一人者として活躍する梅若さんは、廃絶された能の復曲や新作能の上演に加え、海外への能の紹介にも意欲的で、アメリカ、フランス、オランダ、ロシアなど各国で公演を実現。伝統の枠にとらわれない多彩な取り組みによって、能の新しい可能性を常に切り開いています。
東中野にある「梅若能楽学院会館」での活動や後進の指導から、2016年には中野区名誉区民にも選定され、能楽界のみならず、国内外の様々な分野の芸術家達に刺激を与え続けている梅若さんに、能への熱い想いを語っていただきました。

“名人”とうたわれた曾祖父の偉業と努力
自分も能を発展させ、未来へつなげたい

「梅若家は奈良朝の橘諸兄に始まっており、そこから通しで数えると私は56代目。今年2月に襲名した梅若実という名跡については私で4代目。幕末期に梅若家へ養子として入った曾祖父が初代です」

元来、武家が客人をもてなす際の芸能として優遇されていた能。明治維新によって幕府が解体されると、大名家の保護を失った能は一転、存続の危機を迎えることに。「多くの能楽師が徳川家に従って駿府(現在の静岡)に移ってしまい、能楽が衰退の一途をたどる中、曾祖父を含め江戸に残ったわずか数人が細々と能を守り、伝統の火を灯し続けていったのです。その後、岩倉具視との縁から明治天皇の御前で能を催す機会をいただき、それが能の復興の端緒となりました。身内を褒めるのは少し照れくさいですが、そもそも梅若家へ養子に入る前は素人に過ぎなかった曾祖父が、能の存続・復興に尽力し、さらに“明治の三名人”とうたわれるほどの活躍をするまでには、並はずれた努力があったのだと思います」

写真撮影/前島吉裕

「梅若実の名跡を継いだ私も初代のそうした姿勢を見習って、能を単に守るだけではなく、発展させた上で未来へつなげたいという思いを新たにしています。守るべきところはきちんと守る一方で、今の時代や今を生きる人間を反映した新しいものを取り入れていかなければ、化石のようになって死んでしまう。能を『生きている伝統芸能』として次の世代へ手渡したい。私が20年以上前から新作の発表に積極的に取り組んでいる理由もそこにあります」

 

約700年の歴史を持つ能を通して
“和の心”と“文化”を多くの人に伝えたい

1989年のベルギー公演を皮切りに、世界各国で海外公演を実施してきた梅若さん。一昨年のギリシャ公演では、神話をモチーフにした新作能「ネキア」を披露。観客動員数約1万人という成功を収めました。「古い石舞台のある劇場での公演に大勢のお客様が集まっていただき、大きな手応えを感じました。ギリシャの方々は演劇に対する関心が高く、また、現地ではだれもが知っている定番のストーリーを基にしたことも良かったようです。公演後、“とても面白かった!”とまだ幼いお客様からも声をかけていただき、想像以上の好評に驚きました。こうしたお客様からの温かい反応に接することで私自身も大いに刺激を受けて、さまざまな勉強をさせていただけるのがありがたいですね」

3歳で初舞台を踏んで以来、能とともに人生を歩んできた梅若さん。「約700年の歴史を持つ能には、日本古来の良いものがたくさん詰まっています。能を通じて、こうした日本の魅力を広くお伝えできればこれ以上の喜びはありません。文化というのは、その国を支える一番重要な柱というべき存在です。文化が揺らいでしまうと、国自体も危うくなってしまいかねません。ところが昨今、文化は二の次というか、おざなりにされがちな風潮があって非常に残念です。ですから私はよく若い能楽師たちに、『徒や疎かに(いいかげんに)演じてはいけない』と話しています。中途半端な気持ちで演じていると、能が持つ日本文化の良ささえも捻じ曲げられてしまう。混迷の時代を迎えている今だからこそ、かつての私たちが日常の中で親しんでいた日本独自の文化を取り戻し、再認識することが求められていくのではないでしょうか」

 

自分が生きている理由、存在価値を知ることで
今やるべきことが見えてくるはず

写真撮影/前島吉裕

東中野にある「梅若能楽学院」の学院長として、梅若さんは後進の指導にも熱心に携わっています。「今後の能楽界を担うべき能楽師の教育は、私にとって大きな課題の一つ。私の元には現在、内弟子が3人、加えて内弟子候補が数人いますが、彼らにどのように教え、伝えればよいのかを今も模索しています。私と彼らでは育ってきた時代が違うので、私のやり方を無理に押し付けてもだめ。考え方や常識が異なることを前提に、どのように彼らの視線をこちらに向ければよいのかを考えています。とはいえ、つい怒ったり声を荒げてしまって反省することもありますが(笑)。人を育てることで、私自身もこれまでは持てなかった新しい視点を得ることができます。例えば能への向き合い方も、後進の指導を通じて少しずつ変化してきた実感がありますね」

 

梅若さんが教え子たちに伝えたいことは“なぜ、自分は能をやっているのか”ということ。「いつも自らに問いかけなさい、ということ。その問いから目をそらさずに突き詰めて考えることができる人間になりなさい、と話しています。なぜ自分がその仕事を選び、続けているのか。その問いは最終的には、『なぜ私は生きているのか』『私の存在価値とは何か』という究極の問いに通じます。その答えが心の中にあれば、おのずと迷いは晴れて、今やるべきことが自然と見えてくるはず。目的意識を持たずに、ただ漫然と生きていくのはもったいない。人生はそれほど長くないですから」

 

お気に入りスポットは「中野氷川神社」

梅若さんが東中野に転居したのは3歳のとき。父・五十五世梅若六郎さんが能楽堂を新設するための土地を入手したのがきっかけだったそう。「今の賑やかな様子からは想像できないくらい、東中野周辺は本当に何もないところでした。街灯が少ないので学校から帰る時間になると辺りはもう真っ暗。近所の友達とよく遊んだのは氷川神社の境内。夏になると開催されるお祭りにもよく足を運びました。今もたまに訪れると、昔の思い出がふとよみがえります」

 


氷川神社
住所
 中野区東中野1-11-1
アクセス
 JR・東京メトロ大江戸線「東中野」駅西口、または東京メトロ丸ノ内線・大江戸線「中野坂上」駅でそれぞれ徒歩8分

 

 

 ★今回の中野人

観世流シテ方 梅若家当主
四世 梅若実(うめわか みのる)さん

1948年2月16日生まれ。本名善政。以後、景英、六之丞、紀影と改名。1951年、能「鞍馬天狗」子方にて初舞台。1979年、梅若六郎家当主継承。(財)梅若会理事長および梅若能楽学院 学院長に就任。1988年、56世梅若六郎を襲名。2006年、紫綬褒章受章。2008年、二代梅若玄祥に改名。2014年、重要無形文化財保持者各個認定(人間国宝)。2016年、中野区名誉区民条例制定後初の名誉区民に選定。2018年2月、四世梅若実を襲名。日本能楽会理事、芸術院会員

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