【中野の歴史-古代編1-】坂が多いのはなぜ?

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中野一丁目・ゼロホールへ向かう坂

中野区を南北に歩くと、坂が多いことに気づきます。それはなぜでしょう。

今から約7~10万年前、西は青梅、南は現在の多摩川の辺りまで一面が海でした。その頃から、富士山・箱根山が盛んに噴火を続けて、大量の火山灰を噴き出し、噴煙は偏西風に乗って東側に流れ、細かな火山灰(関東ローム層)がはらはらと降下していました。この噴火は、約12,000年前まで数万年間続いていました。1週間1か月の単位ではありません、毎日毎日火山灰は降下を続けていますので少しずつ積っていき、そして現在のように台地が出来上がったのです。

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ケバ線は台地のへり(坂のある部分)、黒線は河川

一方、青梅方面から流れてきた多摩川の水は、火山灰によって埋められていきますが、主な水流は密度の荒い部分を選んで、現在の多摩川の流路となります。しかし、一部の水流は火山灰の中をさまよい伏流水となり、地下を毛細血管のように流れているのです。これが、地上に顔を出したのが湧水となります。武蔵野の三大池といわれる石神井池・善福寺池・井の頭池はまさに湧水の代表的なものといえましょう。これらの池から流れ出た水は、台地を削り、東方向へと流れて行き、平地と谷が織なす現在の武蔵野台地が出来上がったのです。神田川、桃園川の近くに来ると坂があるのは、このためです。今から、20,000年ほど前には現在の地形になったと考えられています。
(中野区立歴史民俗資料館館長 比田井克仁)

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