【中野の歴史-古代編2-】原始中野は寒かった?

松本清張の短編小説に「石の骨」という作品があります。原人の骨を発見した主人公が、閉鎖的な学会にその成果を否定されながらも、在野の研究者としての道を歩んでいくという物語です。

主人公のモデルとなったのは、松が丘一丁目に居住されていた直良信夫博士(1902~85)であることを御存じですか?明石原人骨の発見とその顛末は劇的なものがあり、現在でもその成否には決着がついていない状況です。このことはよく知られていますので、ここでは博士のもう一つの研究成果について紹介します。

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直良信夫博士

それは「わが国にも氷河期が存在したことをはじめて証明した土層江古田植物化石層」の発見と研究です。

それまで、日本列島は太平洋に接し、温暖な気候に恵まれ、世界を席巻していた氷河期とは無縁なものと考えられていました。

昭和12年(1937)に現在の江古田一丁目の大橋から東橋のあたりの水道工事の時、直良博士は、約2mの深さから大量の針葉樹の植物化石を発見しました。化石はアオモリトドマツ・イラモミ・トウヒ・カラマツ・チョウセンゴヨウマツなど東京にはない植物でした。

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発見された植物化石(中野区立歴史民俗資料館)

これらの針葉樹は、現在、富士山5合目や八ヶ岳の山頂付近などの高地でなければ見ることができません。 そして、当時、平均気温が約10度低く、冬が長く夏が短い気候であったことが証明されたのです。日本にも氷河期があったのです。
(中野区立歴史民俗資料館館長 比田井克仁)

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旧石器時代の中野(イメージ)

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