【中野の歴史-古代編3-】中野区最古の住民は?

中野区域にいつから人がいたのでしょうか。歴史では約12,000年前までは旧石器時代にあたります。人々は火山灰(関東ローム層)がはらはらと降下する過酷な自然環境の中で暮らしていました。このような状況ですので食料資源も乏しく煮て食するものもほとんどありませんでした。そのため煮る道具である土器は発明されず石器(ナイフ形石器)を主な道具として用いていました。

さて、中野最古の住民はと問えば、今のところ、富士見台遺跡(都立富士高校地)で地表面から約3mの深さで発見された約32,000年前の石器を使った人になります。その他に江古田遺跡(江古田の森)・新井三丁目遺跡(都下水道局敷地)・広町遺跡(弥生町6-2)で旧石器時代の石器が発見されています。

新井三丁目遺跡 ナイフ形石器

旧石器時代から縄文時代にかけて、土器がやっと発明された頃の遺跡(縄文時代草創期)として、富士見町遺跡(中野富士見中学校跡地)が挙げられます。ここでは有舌尖頭器(ゆうぜつせんとうき)という、旧石器時代より進化した石器が2点発見されています。約12,000年ほど前の人々が残したものです。

富士見町遺跡 有舌尖頭器

厳しい環境の中、私たちの先人達の苦労はいかばかりかと思いをはせても、現代人の想像をはるかに越えるものがあります。旧石器人たちに敬礼。もしかしたら、あなたのご先祖達かもしれませんよ。
(中野区立歴史民俗資料館館長 比田井克仁)

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