【中野の歴史-古代編6-】中野にも古墳があった!?

左/遠藤山遺跡 三つの円墳、右/遠藤山遺跡出土円筒埴輪

中野に古墳があるというと、意外に思われる方もいるかと思います。古墳というと教科書に載っている巨大なものを想像しますが、規模があまり大きくない古墳は中野区にも存在しています。土盛りした塚の部分、墳丘は耕作や宅地開発で削られているため表面では見つけられないのです。中野区立上高田図書館の東側一帯には、遠藤山古墳群が存在していました。平成2年に行われた発掘調査では径13~18mの3基の円墳が発見されています。また、平成26年の2回目の発掘調査では5m×8mの狭い範囲でしたが4基目の古墳の周溝(古墳の周りの溝)が発見されました。

これらの、古墳の時代は出土土器の研究から5世紀第Ⅳ四半期から6世紀中頃まで期間になります。この期間に4人の地域の指導者がいたことが判明したのです。4基めの古墳の調査では、円筒埴輪が中野区ではじめて発見されました。円筒埴輪とは墳丘の裾に立て並べられて墓の聖なる範囲を示す意味のあるものです。この円筒埴輪は用いられた粘土の特徴から、埼玉県比企地方で製作されたものが運ばれてきたこともわかりました。6世紀頃の地域の指導者達のネットワークを示しているものとして注目されます。

さて、彼らが支配する集落は、今のところ発見されていません。古墳群のある場所からみると上高田5丁目のどこかにあることは間違いありませんので、今後の発見が期待されます。

(中野区立歴史民俗資料館館長 比田井克仁)

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