【中野の歴史-中世編1-】いつから中野と呼ばれたか?

左/熊野那智大社と那智の滝 右/中野の地名がはじめて登場した古文書 貞治元年(1362)「武蔵国願文」熊野那智大社蔵

中野の地名の由来は、武蔵野台地の真ん中に位置しているためといわれていますが、はたしていつから「中野」と呼ばれていたのでしょうか?

江戸時代までの中野区は武蔵国多摩郡に属していました。全国的な地名が載せられている最も古い記録である「和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)」(931~938年完成)という書物には、多摩郡の中の細かな地名として郷名が記されていますが、中野区はその中の海田郷と小嶋郷に該当するものと考えられています。まだ、中野という呼び名はありませんでした。

中野の名が登場するのは、和歌山県熊野那智大社に伝わる貞治元年(1362)の「武蔵国願文」という古文書が最古です。これには「中野郷」という地名が記され、中野郷に住む修験道の僧たちが熊野那智大社に参詣に出掛けたことを示しています。海田郷・小嶋郷から中野郷への呼び名の変化が938年頃から1362年の間に起こったことは間違いありません。この頃の区内の資料を見ると、最近の江古田遺跡の発掘調査で発見された12世紀後半頃の墓や区内の52基の板碑の年号を見ると、1295年にはじまり1300年代に急増していることから、12世紀後半から人々の動きが活発化することが認められています。これらのことから現段階での中野の地名のはじまりは、13世紀を前後する年代と考えられます。

(中野区立歴史民俗資料館館長 比田井克仁)

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