【中野の歴史-中世編2-】源氏ゆかりの雑色村と多田神社

左/多田神社の大絵馬「冨士の巻狩図」 右/南台三丁目多田神社


中野区の弥生町・南台は江戸時代まで雑色村(ぞうしきむら)と呼ばれていました。

雑色とは、本来は、天皇の膳の給仕等雑務を果たした蔵人という職の中の職位名で、昇殿を許されていない雑務係のことです。

前九年の役の時、源頼義がこの地で吉兆を得たことから、康平6年(1063)に石清水八幡宮を勧請して杉並区の大宮八幡宮を建てました。その大宮八幡宮に仕える雑色が住んでいた場所、もしくはその給地だったことから呼ばれた村名と伝えられています。

多田神社は寛治6年(1092年)に源義家が後三年の役の戦勝により大宮八幡宮に神鏡を献上し阿佐ヶ谷に別当宝仙寺(室町時代に中野区へ移転)を建立した折に、雑色村に尊敬する祖父、源(多田)満仲を祀ったのがはじまりとされています。

天正19年(1591)の検地帳には「大宮之内雑色村」と記されていることからも、大宮八幡宮と深いつながりがあったことがわかります。

多田神社の社殿には源氏ゆかりの「壇ノ浦合戦図」「冨士の巻狩図」を描いた大きな絵馬が掲げられています。地域を探る貴重な資料として中野区有形民俗文化財に指定されています。

(中野区立歴史民俗資料館館長 比田井克仁)

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