【中野の歴史-中世編4-】長者伝説ゆかりの地を訪ねて

2016.06.17 UP

投稿者:中野区

左/明治期の淀橋 (姿見ず橋) 右/十貫坂の名をつけた信号


中野長者の屋敷跡といわれる成願寺(本町二丁目)

 

前回、「中野長者伝説」をご紹介しましたが、実は青梅街道中野坂上周辺の地が舞台なのです。物語に沿って訪ねていきましょう。

「成願寺」、中野長者の家の跡とされています。伝説の結末の、反省した長者が正歓寺を建てて信心深く過ごしたという正歓寺は成願寺ということです。

「十貫坂」、18世紀の末頃、この辺りから甕に入った大量(十貫文)の古銭が発見されたことからついた地名です。この古銭は現在残されていませんが、当時の人々はこれが長者の隠した財宝の一部と考えていたようです。
「淀橋」、神田川に掛る淀橋は、長者が従者を連れて橋を渡るが帰りは1人ということから「姿見ず橋」とも呼ばれていました。縁起の悪い不吉な橋として地元の人々はこの橋を渡らなかったそうです。

「姿見ず橋」を「淀橋」と名前を変えたのは3代将軍徳川家光といわれています。

「熊野十二社」、長者が建てたという神社で新宿中央公園の西側にある熊野神社がこれにあたります。昭和40年頃までその西側に「十二社の池」が残っていました。長者の娘が飛び込んだ池です。

「宝仙寺の三重塔」、長者が建てたといわれる塔で、現在の区立第十中学校にありましたが、昭和20年の空襲で焼失しました。現在、宝仙寺境内にある塔は、再建されたものです。

(中野区立歴史民俗資料館館長 比田井克仁)

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