【中野の歴史-中世編5-】伝説と史実-中野長者のモデルを探る

左/堀江兵部が使用したと伝えられる馬のあぶみ(歴史民俗資料館に展示) 右/北条氏朱印状(天正4年1576)宝仙寺蔵(中野区指定文化財)複製は歴史民俗資料館に展示

 

「中野長者伝説」は室町時代を舞台とする伝説ですが、その頃の史実はどのようなものであったのでしょうか。

15世紀の中野周辺の領主は江戸氏の一族であった「中野氏」「阿佐ヶ谷氏」でしたが没落が早く、その事績は伝わっていません。16世紀になると小田原北条氏の支配下になります。宝仙寺には北条氏直の「朱印状」が2通残されており中野区有形文化財に指定されています。この朱印状は小代官に宛てられたもので、小代官は後に中野村の名主になる「堀江氏」です。堀江氏は越前の土豪で朝倉氏との抗争に敗れ一族は各地に拡散したといわれています。その1人である堀江兵部が弘治元年(1555)に従者18人とともに中野に到着し、開拓を進め成長しました。その後小田原北条氏から小代官の任命を受け地域の土豪としての地位を固めました。

堀江氏の居館は中野1丁目の区立谷戸運動公園にあった「城山居館跡」です。城山居館は、土塁と堀で囲まれた典型的な中世居館で、2回の発掘調査と3回の試掘調査によって、東西約130m・東西約120mにわたって幅約8m・高さ約2.6mの土塁と幅約7m・深さ約3mの堀を持つことが明らかにされています。

他の地域からやってきて、そこで成長して成功を得たという展開は、まさに「中野長者」のモデルの1つとしてにふさわしいものでしょう。

(中野区立歴史民俗資料館館長 比田井克仁)

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