【中野の歴史-中世編7-】 戦国から江戸へ-村の様子はどうだったか

左・中央/御嶽遺跡出土「天目」茶碗(17世紀前半) 右/御嶽遺跡出土「白天目」茶碗(17世紀前半)

戦国時代から江戸時代のはじまりは豊臣秀吉・徳川家康・真田幸村・宮本武蔵etcヒーロー続出の時代ですが、しがない農村であった中野ではどんな様子だったのでしょうか。

江古田1丁目25・31・34番の都営住宅建設のおりに発掘調査した御嶽遺跡では興味深い成果が出ています。

この遺跡では、溝に囲まれた範囲内に沢山の柱穴や井戸などが発見されました。井戸を伴った、掘立柱の簡素な建物跡が集中していることから村落の跡と考えられますが、出土品が良すぎるのです。

中国からの輸入青磁・天目茶椀・白天目・志野焼・織部の花生・茶臼・刀の金具・宗崋と墨書きされたカワラケなど一般農村では考えられないものばかりでした。これらの出土品の組み合わせは茶の湯に通じるもので、教養深い人々が使用するものでした。

そこで天正19年(1591)の江古田村検地帳で当時の人々の名前を調べました。そうしますと○○衛門・○兵衛などという一般農民の名のほか対馬・将賢・兵庫・外記・但馬・主斗・図書・谷嶋・弥島といったいかにも武士と思われる9名が含まれていたのです。彼らの素性は、滅びた戦国大名から流れて帰農した武士達であると思われます。粗末な家に住む教養深い武士達といった不思議な光景が展開していたのです。御嶽遺跡は17世紀後半には田畑となっていますのでまさに、戦国から江戸時代をつなぐ貴重な遺跡だったのです。

(中野区立歴史民俗資料館館長 比田井克仁)

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