【中野の歴史-近世編2-】 宝仙寺三重塔の謎

2016.07.22 UP

投稿者:中野区

左/昭和初年の宝仙寺三重塔 上/区立第十中学校北西にある「三重塔の碑」下/歴史民俗資料館常設展示室

現在、宝仙寺境内に三重塔がありますが、江戸時代に建てられた三重塔は区立第十中学校の校庭にところにありました。昭和20年(1945)5月の空襲で焼失してしまいましたが、戦前に東京府が詳細な調査をしており、その内容を知ることができます。

それによれば、この塔は飯塚惣兵衛夫妻によって寛永11年(1636)に建立されたもので、方三間で屋根は檜皮葺(ひわだぶき)、高さは24mでした。塔内には飯塚夫妻の木像が安置され、裏面の墨書きにより夫妻が出資者で当時の住職が発願者であることが判明しています。さて、東京のこれと同じ江戸時代初期の塔を見ますと池上本門寺五重塔・上野寛永寺五重塔・浅草寺五重塔(焼失)が挙げられますが、本門寺は二代将軍徳川秀忠の乳母の正心院日幸尼の発願によるもので、寛永寺は幕府大老土井利勝の寄進、浅草寺は徳川3代将軍家光といった具合で、いずれも時の最高権力者層により建てられたたものです。

それに対して飯塚惣兵衛夫妻は現在も御子孫が青梅街道筋にいらっしゃるとおり地元の一般人で、宝仙寺三重塔が五重塔ではないとしても、それを建てるということは尋常なことではありません。

どうしてなのか、謎は深まるばかりです。

三重塔については、東京府調査の設計図に基づいた縮尺模型を中野区立歴史民俗資料館に展示してあります。

(中野区立歴史民俗資料館館長 比田井克仁)

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