【中野の歴史-近世編3-】 5代将軍綱吉とお犬様

左上/区役所南側のお犬さまの像 右上/お犬さまの籠(歴史民俗資料館に展示) 下/お囲いの範囲

歴代徳川将軍は鷹狩りを武士のたしなみとしていましたが、5代綱吉は、ご存じのとおり「生類憐みの令」を発布、鷹狩りは行われなくなりました。そして中野にはお犬様を養育するためのお囲い(犬小屋)が設けられたのです。お囲いは始めにゼロホールの辺りにつくられましたが、足りなくなり、サンモールのあたりに二の囲が増築されました。さらに区役所と四季の森公園に三の囲、そして四季の森公園と環状7号線あたりまでに四の囲、最後は南側中野三丁目全域に五の囲と増築を続けたところで、綱吉は死去し、直ちに廃止されました。面積は約30万坪(約100ha)にも及び元禄8年(1695)11月に約半分の16万坪が完成した時点から犬を収容しています。この日1日に10万頭が収容されたと記録されています。お犬様は江戸から専用駕籠に乗って中野に来ました。駕籠一つに人が二人付きますので、延20万人が輸送に携わったことになります。使われていた駕籠は文献をもとに復元し中野区立歴史民俗資料館に展示してあります。廃止された時点では30万頭ぐらいの犬が養育されていたと考えられますが、犬達はどのように処理されたのでしょうか。 

実は、近隣の住民に養育費とともに下げ渡されたのです。あまりの数の多さのため所沢や福生、厚木あたりまで及びました。養育費は借金として返済が求められ、完済まで47年間もかかったという記録が福生市に残されています。

(中野区立歴史民俗資料館館長 比田井克仁)

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