【中野の歴史-近世編4-】 徳川吉宗と「桃園」

左上/「桃園」の絵図(中野三丁目一帯) 右上/橋に残る「桃園」の地名 下/「桃園」花見の情景(江戸後期)

ドラマ「暴れん坊将軍」で有名な8代吉宗は、ふたたび鷹狩りを復活。享保13年(1728)2月12日から寛保3年(1743)3月22日までに11回中野を訪れています。
いつのときの鷹狩りかは不明ですが、吉宗には大変気に入った場所があり、そこに桃を植えさせよと命じました。それが現在の中野三丁目一帯にあった「桃園」のことです。ここは、5代将軍綱吉の造ったお犬様収容施設「五の囲」の跡地でもありました。

やがて桃は咲き満ちて、延享の頃(1744~48)には春の美観が広く江戸の人びとに知られるようになりました。吉宗自身も何回か訪れたといわれています。古い絵図には二つの築山が描かれ、一つが「御腰掛の場」又は「お立ち場」、もう一つが「御馳走山」又は「大名山」と書かれています。お供の大名を連れて、築山に立ち、花見をする吉宗の姿が彷彿とします。
江戸時代後期には一般開放も行われ、小金井桜・品川御殿山・隅田堤・王子飛鳥山の桜見物とともに花見の名所として江戸中に知られるようになりました。しかし、江戸末期にはほとんどの桃は枯れて、明治以降は宅地・商店街に変貌していきました。

「桃園」の名は、「桃園橋」「区立桃園公園」に残されています。吉宗の仕事は、世界でも古い段階の公立公園の発想という評価とともに、花見のルーツはここからという評価もあります。

(中野区立歴史民俗資料館館長 比田井克仁)

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