【中野の歴史-近世編5-】 やってきました中野だゾウ

左/象の木彫り(歴史民俗資料館に展示) 右/象と象使いが浮き彫りにされた刀のつば(歴史民俗資料館に展示)

8代将軍吉宗の頃に、中野区でインド象が飼われていたことを知っていますか?

享保13年(1728)、吉宗の希望によってベトナムから2頭の象が長崎にやってきました。メスは長崎で死亡、オスが陸路江戸に向かって旅をはじめました。途中、京都では中御門天皇の謁見を受け「広南従四位白象」という位までもらいました。宮中では象をお題とした歌会が催され、日本中の話題となっていました。80日かかって江戸に到着した象は、吉宗の上覧後、浜御殿で飼育されることになりましたが、何分にも飼い方が分からない象です。それでも10年余過ごしましたが、とうとう下げ渡しとなり、中野村の源助が引き取りました。区立朝日が丘公園(本町2丁目32番)あたりが象小屋の跡といわれています。さっそく、見世物となり、江戸から沢山の見物人が訪れたそうです。こうなると色んなことを考える人が現れます。

象のフンでつくった「象洞」は、はしかの薬として信越地方まで売れたそうです。源助自身も「象膏」なる得体のわからないものを作製し、販売許可を目付に求めたりしていることが徳川実紀に記されています。寛保元年(1741)12月に象は亡くなりました。骨は源助に与えられ再び見世物として25年間に渡り源助の懐をうるわせました。象をデザインした工芸品なども盛んに造られ、中野区立歴史民俗資料館常設展示室で見ることができます。

(中野区立歴史民俗資料館館長 比田井克仁)

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