【中野の歴史-近世編7-】 醤油・沢庵・製茶

左/山政醤油(輸出用樽)  中央/鷺宮地域の沢庵工場 右/江古田村の須藤家がはじめた製茶工場「気生園」のはんてん

 

青梅街道筋では山政醤油が知られていますが、それ以外でも、江古田村の山﨑家は醤油醸造業をはじめています。江戸時代の紀行文に「少しのぼる所に、くろがねもて、たたみつくれるようなる、大きな蔵、三・四見ゆ、山﨑喜兵衛といふ醤油作りあきなふ者の家也けり」と記述され、繁栄ぶりが偲ばれます。この蔵はすでにありませんが跡地には中野区立歴史民俗資料館が建てられています。

中野北部では明治時代に入ってから大発展した地場産業がありました。沢庵づくりと製茶です。中野北部では江戸時代から練馬大根の生産が盛んでした。実はその生産量はご本家練馬の2倍にも及んでいたのです。沢庵漬けが商品として飛躍的に発展したのは、日清・日露戦争から戦前の間です。わが国が海外に派兵するとともに軍による需要が急増したためです。そして、地域の主力産業として重要な位置を占めましたが、高度成長期を迎え消滅していきました。

製茶は、明治維新によって役割のなくなった広大な大名屋敷ではじまりました。その後、お茶は手間がかからずしかも輸出品として高価であるため、農家が製茶業に手をつけはじめたのです。主に、東京北部から埼玉南西部に広がりました。しかし、関東大震災後の急激な宅地化・都市化によって、つぎつぎと消えていきました。そして、現在でも残ったのが有名な狭山茶なのです。今や埼玉県では特産品として有名になっています。

(中野区立歴史民俗資料館館長 比田井克仁)

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