【中野の歴史-近代編4-】 四季の森公園にあった軍事施設


上/昭和7年(1932)頃の電信隊(北西早稲田通り上空から中野駅方面を望む) 左下/大正4年(1915)開発された軍用飛行船「雄飛号」 右下/軍用鳩の飼育風景(後の都電杉並線)

 

中野区役所西側の四季の森公園は、オフィス街と大学と合わせたとてもおしゃれな公園ですが、70年前まで陸軍の施設がありました。
中野停車場(現中野駅)の北側一帯は、かつて5代将軍徳川綱吉によつて設けられた「お囲い」の跡地で、広大な雑木林や桑畑となっていました。
明治30年(1897)、ここに「陸軍鉄道大隊」が設けられ、中野停車場から引き込み線が現在の帝京平成大学・早稲田大学のあたりまで敷設むされました。通称「囲町軍事施設」です。鉄道大隊は、日清戦争の折の物資補給方法に鉄道の役割が重要であるということから生まれた鉄道専門の部隊でした。軍事的な研究・活動ばかりでなく、民間の鉄道敷設にも活躍しました。近くでは西武村山線(現.西武新宿線、高田馬場・東村山間)の工事を担ったことが知られています。
その後、日露戦争により通信技術向上の必要性が注目され、明治40年(1907)に「陸軍電信連隊」と改称し、大型軍事用飛行船「雄飛号」の製作、「軍用伝書鳩」の開発が行われました。情報伝達の研究はやがて情報戦略の専門化へと進み、昭和14年(1939)にスパイ養成学校として有名な「陸軍中野学校」が敷地内に設けられましたが、いまだに謎のベールに包まれ、その内容は分かっていません。
軍事輸送から情報伝達、そして情報戦略へと現代のパソコンや携帯電話につながる科学的発展がこの地で培われたのです。

(中野区立歴史民俗資料館 館長 比田井克仁)