【中野の歴史-近代編5-】 寺町江戸墓物語-忠臣蔵と上高田


左上/板倉重昌の墓所(宝和寺) 右上/吉良家の墓所(萬昌院功運寺) 左下/新井白石の墓所(高徳寺) 右下/新見正興の墓所(願正寺)

 

中野区上高田一丁目の早稲田通り沿いと上高田四丁目は通称「寺町」と呼ばれ、たくさんのお寺があります。これらの寺々は東京の都市化にともなって、明治時代の末から大正時代に旧江戸市中から移転してきたものです。著名な人のお墓も多く、それだけでも江戸時代を語ることができます。

江戸時代前期では、島原の乱の鎮圧軍の指揮官ながら討死した悲劇の武将「板倉重昌」(宝泉寺)のお墓があります。中野区登録有形文化財のりっぱな五輪塔です。江戸時代中期では「忠臣蔵」にゆかりのある人々が挙げられます。仇とされた「吉良上野介」と吉良家四代の墓(万昌院功運寺)は宝篋印塔と呼ばれる格式高い墓で中野区登録有形文化財です。松の廊下で浅野内匠頭を取り押さえた「梶川与惣兵衛」(天徳院)、幕末に赤穂浪士「赤垣源蔵」をモデルとした作品を書いた劇作家「河竹黙阿弥」(源通寺)などのお墓もあります。
学者でかつ老中まで上った東京都旧跡の「新井白石」(高徳寺)の墓は、直方体のユニークな形をしています。

江戸時代後期から幕末にかけては、浮世絵の最大派閥の創始者「初代歌川豊国」(万昌院功運寺)、江戸三大美人の一人「笠森お仙」(正見寺)、外国奉行としてロシアとの外交に尽力した「水野忠徳」(宗清寺)、幕府の遣米使節としてアメリカに渡った「新見正興」(願正寺)など、まさにスーパースターばかりです。

(中野区立歴史民俗資料館 館長 比田井克仁)

 

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