【中野の歴史-近代編6-】 真理の探究-東京都指定名勝哲学堂公園-


左/井上円了の墓所(江古田蓮華寺)※井の上に円を配置し完了するといったデザインは生前、円了がみずから考えたものといわれている。 右/東京都名勝哲学堂公園(右から六賢台・四聖堂・宇宙館)

 

明治時代、急激な西洋化は、日本の伝統的な考え方に大きな変化を与えました。西洋・東洋の哲学を融合し、そこに人間の生きる道を見出し、哲学を万民のものに普及しようとする哲学者井上円了は、中野区和田山(現在の松が丘)に「哲学堂」を建てました。
哲学堂は明治37年(1904)に釈迦・ソクラテス・カント・孔子を祀る「四聖堂」を建てたことにはじまります。その後、諸施設を拡充し、現在に至っています。
哲学堂は大きく三つのエリアによって哲学の骨格を説明します。人は心と物のよって造られ、それは哲学堂内の二つの庭「唯物園」「唯心庭」によって象徴されます。しかし、これだけでは進みません。ここに、空間と時間を付与すると、人間たる活動と宇宙観が形成されるというものです。諸建物の建つ「時空岡」と呼ばれる広場がこれを示しています。
そして、井上円了は哲学とは「問い」であり、それは「真理の探究」であると説明しています。
これを、園内の不思議な建物や空間や石碑など77カ所をまわりながら、考えるという趣向になっています。
このような、公園は世界的にも珍しいものと評価され東京都の名勝指定を受けています。難しいものではありませんのでぜひ、一度お訪ねください。

(中野区立歴史民俗資料館 館長 比田井克仁)

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