【中野の歴史-近代編12-】平和の象徴「旧豊多摩刑務所」

2017.02.03 UP

投稿者:中野区


左/正面側(法務省敷地)から 右/裏側(区道)から


新井3丁目には昭和58年(1983)まで「中野刑務所」がありました。刑務所というと聞こえは悪いですが、戦後日本の平和の礎となった、あるいは支えた人々が収監されていたところでもあるのです。
この刑務所は江戸幕府の「小伝馬町牢屋敷」からはじまり「市谷監獄」経て大正4年(1915)に中野に移転、以後「豊多摩監獄」「豊多摩刑務所」「中野刑務所」と名前を変えました。

日本があの暗い戦争に突入しようとしていた戦前、「治安維持法」によって言論は統制され、政府に対する批判を徹底的に弾圧しました。少しでも怪しく思われた者は、つぎつぎに捕縛され、その多くが豊多摩刑務所に送られてきました。収監されていた人々は大杉榮・荒畑寒村・亀井勝一郎・小林多喜二・中野重治・河上肇・三木清・壺井譲治といった、文学者・評論家・学者が主に標的にされていました。ここで、命を落とした人もいましたが、荒畑寒村・亀井勝一郎・中野重治など戦後、国会議員や評論家として活躍し日本の平和に尽力した人も少なくありません。

今、この跡地には、レンガ造りの刑務所正門が1棟残されています。36才で夭折した天才建築家後藤慶二の設計によるもので、大正期の日本のモダニズム建築の代表的な作品として評価されています。
まさに、刑務所の門ならぬ「平和の門」というべきでしょう。

(中野区立歴史民俗資料館 館長 比田井克仁)

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