【中野の歴史-偉人編1-】謎の絵師「雪洞」


左上/板ふすま絵「唐児遊図」 右上/板屏風「竹林の七賢人」 下/江古田氷川神社神楽殿天井絵(非公開)


中野区立歴史民俗資料館が所蔵する旧江古田村名主山﨑家資料の中に「雪洞」という絵師が描いた一群の作品が残されています。一つは「かまきりと葉鶏頭図」で絹布に彩色された掛軸で、もう一つは桐板の屏風に描かれた「竹林の七賢人」、三つめは庭に残されている天保12年(1841)建立の茶室・書院の杉板のふすま絵「唐児遊図」です。

言い伝えによれば、弘化4年(1847)に建てられた江古田氷川神社神楽殿の天井絵(現在も残されています。)を描いた絵師が、山﨑家茶室・書院に宿泊していたことから、描いてもらったものということです。絵の内容は、絵画史の専門家に見ていただいたところ、きちんとした画業を積んだ狩野派の絵師であると教えていただきました。そうなると、どんな絵師がこの江古田に来たのか、俄然興味が湧きます。そこで「雪洞」を調べてみましたところ、3人の候補者が出てきました。1人目の「雪洞」は慶長年間に没していますので年代が合いません。二人目の「雪洞」は大阪の人ですので可能性は低いものです。3人目の「雪洞」は嘉永2年(1849)の「嘉永百名家書画集」という画集の中に作品を載せている絵師で年代的には一致しています。

おそらくこの「雪洞」が有力候補となりますが、残念ながら生没年来歴ともに不明です。そもそも、「雪洞」は「ぼんぼり」とも読み、正体のぼやっとした絵師「雪洞」にはふさわしい名前ともいえましょう。

(中野区立歴史民俗資料館 館長 比田井克仁)

※問い合わせ先の記載がない記事については、まるっと中野編集部までお問い合わせ下さい。
掲載場所近隣の区民の皆様に直接お問い合わせすることはご遠慮いただきますよう、お願い申し上げます。

※掲載情報は全て記事公開当時のものです。