【中野の歴史-偉人編2-】 二十四の瞳・柿の木のある家(壺井 栄)


左/オリーブ橋 右/若宮オリーブ公園


「二十四の瞳」で有名な作家壺井 栄(1899~1967)は、昭和17年(1942)から亡くなるまでの25年間、現在の白鷺1丁目に住んでいました。小豆島に生まれ、貧しい家庭で育ち、郵便局・役場に勤めるも大病に罹り生死をさまよった。そんな折、同郷の詩人壺井繁治と知り合い、大正14年(1925)上京し結婚しました。世田谷三宿、太子堂、東中野昭和通り(中野三丁目)と転居をしますが、この間に林芙美子・平林たい子・佐多稲子・宮本百合子といった錚々たる女流作家たちとの親交を深めました。彼女たちの影響から見よう見まねではじめた文筆活動でしたが、昭和13年(1938)「大根の葉」で作家デビューしました。39歳の遅いスタートでした。

昭和16年(1941)に鷺宮に家を建てましたが当時の鷺宮地域について「私のいまいる土地は、大根畑であった。(中略)一足でると西も東も田である。」と壺井本人が記しています。さて、壺井の初期の傑作「柿の木のある家」は昭和18年(1943)に鷺宮で執筆したものを昭和24年(1949)に改稿・改題して発表し、第1回児童文学賞を受けたものでした。このモデルは、現在の白鷺二丁目17番に実際にあった家ということです。そして、昭和27年(1952)、小豆島を舞台とする代表作「二十四の瞳」がこの鷺宮の地で生まれました。小豆島の名産品オリーブの名をつけた、中野区立若宮オリーブ公園・オリーブ橋といった名称に、それを偲ぶことができます。

(中野区立歴史民俗資料館 館長 比田井克仁)