【中野人インタビュー】落語家・笑福亭希光さん

大阪出身の漫才師としてスタートし、2013年に東京で落語家に転身、2017年には二ツ目に昇進。「なかの芸能小劇場」で定期的に独演会を開いている、東中野在住の気鋭の落語家・笑福亭希光さんに、我が街の魅力などについて伺います。

独演会も行う、なかの小劇場にて

人気漫才師から上方落語家への転身

―まずは漫才師から落語家に転身したいきさつなどからお話を

「大学時代に漫才コンビを組んで、大阪の松竹(芸能)で活動してました。26の時に東京出てきて、吉本に入ったんですね。東京の新喜劇(新宿の「ルミネtheよしもと」)は、大阪と違ってテレビタレントだらけで、もう出てきただけで「キャー」です。その中に混じって新人としてやるわけでね、目立つのがほんま難しいわけです。そんな時、まずはとことん新喜劇を勉強してみようと先輩に相談したところ、『落語聞いてみたら?』『落語やってみたら?』という先輩のアドバイスがけっこうあったんですよ。(世界の)ナベアツさん(現・桂三度)や方正さん(山崎方正/現・月亭方正)とかももう落語に着手していたころですし」

「最初に聞いていたのは(立川)志の輔師匠とか。これはすごいな、と思って。いろいろ生で聴いているうちにちょっと自分でもやってみようと。ライブハウスとかでですね。演技にも役立つし、勉強するつもりでやっていたんですけど、だんだん比重が落語のほうになってきちゃって」

―師匠は全国的人気落語家の笑福亭鶴光さんですね

「東京で落語家としてやってくには江戸落語のスタイルかな、と思ったんですが、言葉は大阪弁ですからね。どうしようかな、と思っていたところに、鶴光師匠は上方落語協会にも落語芸術協会(東京の団体)にも入っていて、東京でも弟子を取ってるし、みな関西出身や、ということで、門を叩きました」

―ということは、見台を使う、上方落語のスタイルなんですね

「そうです、そうです」

―漫才と落語はやってみてどう違うものなんでしょう?

「見た目が違いますね。ってそんな答えじゃしょうもないか(笑)。漫才は、二人で掛け合っているんでテンポが出せます。ストーリーというよりも、どんどんアホなこと言って、それを正す、という。落語はストーリーですね。ジワジワジワジワお客さんの心に入っていって、最後にオチがあり、泣かせたり笑わせたりも出来る幅の広さが魅力なんじゃないですかね」

―漫才師としては大阪でも東京でもやられていますが、リアクションの違いはあります、よね? やっぱり

「うーん・・・。(自分が)頑張っているとして、頑張ってるヤツは応援しよう、というのは同じなんですけど、大阪はスパルタですよね(笑)。もっと上がってこい、そんなんアカンで、まだ褒めへんで、みたいな。東京のお客さんは、いいわよ、いいわよ、がんばんなさい、という感じで、優しいですよね」

こじんまりとして都会っぽくないのに新宿に近い、不思議な街、東中野

―落語家に転身すると同時くらいに中野区に来られたんですね?

「東中野に6年ですから、そうですね」

―どうして東中野に?

「どうして・・・!? そうですねえ、(土地勘のある)新宿に近いし、あとあの、いい物件があったんです」

―そりゃまあ、そうですよね(笑)

「一戸建てで、大家さんが1階に住んでて、まあまあ広い敷地なんですよ。そこの2階を借りてます」

―それは今時珍しいですね。落語家という職業にもプラスになりそうです。東中野の印象はいかがですか?

「めっちゃいいですねえ。東中野の飲み屋はどこももう、こじんまりしているんですよ。行けば絶対知っている顔がいる、っていう状態で。だからその、下町ではないんですけど、キュッとしてて、都会っぽくないんですよ。それでいて新宿から2駅ですしね。同じ新宿近くでも、大久保や阿佐ヶ谷にはない空気感はあるように思いますね」

―ちなみに行きつけのお店というと?

「『PAO 』っていう1階がアフガニスタン料理屋さんのビル、『孤独のグルメ』にも出たことあると思います。1階でも、9階のバーでも飲めるんですよ。あとは、『阿波や壱兆』っていうそうめん屋さんとか。カウンターだけのお店で、お酒やつまみもあるんです。『リズ』にもよく行きますね。和服着ている女将さんがいておでんを出してくれる、っていう昔ながらの雰囲気がいいですね。確か有名なポルノ映画監督の小林悟さん?って人が関係されているお店と聞いてます(小林悟は60年代から90年代にかけて活躍、ピンク映画の創世記に大きな役目を果たした人物。世界最多と言われる生涯450本以上もの作品を監督している)。どの店も常連も20代から50~60代まで幅広いですし、松戸に引っ越した人が未だに通ってたりするところもあるんですよ」

「芸小(なかの芸能小劇場)で独演会やるときは、そういった常連さん達が大勢観に来てくれて、非常に優しい雰囲気の中でやらせてもらえてるんで、街でも、劇場でも、本当にみなさん大阪から来た自分を受け入れてくれてありがとう、って思います」

多彩なキャリアと特技を活かした独演会

―あとあの、プロフィールにある、「特技:バイオリン」「好きな人物:岡本太郎」というのが気になります。バイオリン、お上手なんですよね?

「えーと、どういうたらいいんですかね、自分で(笑)。一応、3歳からやっているんで。中2くらいで辞めましたけど、なんとなく体は覚えている感じですね」

―高座で披露されたりするんですか?

「まあ余興ですけど、独演会では。古典とバイオリンと新作と、というような構成でやってますね」

独演会では特技のバイオリンも披露

―岡本太郎はやっぱり大阪出身なので、『太陽の塔』?

「いや、太陽の塔はもちろん知ってましたけど、岡本太郎とは知らなかったです。ずっと後に太郎が書いた本をもらって読んだのがきっかけですかね。『自分の中に毒を持て』という」

「常に攻めの姿勢みたいのは、芸にも役に立ったと思います。たとえばその、人は空気読むとか、するじゃないですか。まあ僕も読むんですけどね、芸人やから。でもいかなアカン時はアカン、と思わされましたね」

「攻めの姿勢」で高座に臨む希光さん

「太陽の塔も、(70年大阪)万博のテーマの『人類の進歩と調和』の『調和』とは、同調しようとする時ではなく、むしろ突き放そうとした時に本当の調和が生まれる、みたいなこと言っているんですよね。だから、『なんだこれは』と言わせるためだけにあの塔を作った、とか書いてて、おもろいおっさんやな、と。ああいう、『つぶしていく』ところ? 常識とか既存の価値観、をですね。自分がそういうところに共感する人間なんやな、という発見もありましたね」

―じゃあ、そういった攻めの姿勢は、新作落語にも反映されているんでしょうか?

「あると思いますよ、おそらく」

―これはますます独演会が楽しみですね

「ありがとうございます。来月(9月)18日に“なかの芸能小劇場”でやりますんで、よろしかったらぜひ!」

★今回の中野人

笑福亭希光(しょうふくていきこ)

※師匠の笑福亭鶴光は自分の師匠、笑福亭光鶴(こかく)の漢字を逆にしたものが命名の由来であるため、「つるこ」と読むのが正しい。弟子である希光さんもそれに従い高座では「きこ」と名乗っている。ただし、師匠も「つるこう」と呼ばれることが多かったように「『きこう』でいいですよ」とのこと

1979年7月6日 大阪市住吉区生まれ
1999年 大阪産業大学在学中に漫才コンビを結成しデビュー
2006年 拠点を東京に移し、吉本新喜劇(ルミネtheよしもと)座員に。当時の住まいは千歳烏山
2013年 笑福亭鶴光に入門。希光を名乗る
2017年 二ツ目昇進

現在は定期的に「なかの芸能小劇場」で独演会を開催するほか、都内を中心に全国各所で高座に上がり、テレビドラマ・ラジオなどにも出演。今後の展望について聞くと、「普段、有名な実業家の伝記本とかもよく読むんです。で、落語にも伝記物ってあるんで、有名社長の一代記を落語にできないかな、と思ってるんです。そしたら、BtoBっていうんですか?その会社の新入社員研修とかでも披露できたりするんじゃないかと。さらにその落語を英語で語る、というのもやってみたいと思ってるんです。ま、あくまで将来のビジョンとしてですね」

【中野のお気に入りスポット】
神田川の桜

4月、桜が咲く神田川の様子

「よく行く東中野図書館の近くなんですが、最高ですね、あっこは!(関西弁で「あそこは」という意味)ビックリしましたね。東京来て、桜の名所としてよく聞くのは目黒川じゃないですか。確かにあそこもキレイやなあ、とは思いましたけど人がいっぱいいて。神田川は目黒川以上ですね。川幅が狭くて、両側から垂れてくるのも写真映えするし、遊歩道のところでのお花見も落ち着いていていいですよ。特に4月は一番のおススメじゃないですか?」

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