【中野人インタビュー】真言宗豊山派 宝仙寺 住職 富田道生氏

年の瀬も押し迫りましたが、大晦日には除夜の鐘をつきに行かれる方も多いのではないでしょうか。今回は区内きっての規模と歴史を誇る宝仙寺のご住職、富田道生さんにお話を伺いました。てっきり袈裟(けさ)姿でおいでになると思って寺務所で待っていたら、意外にもスーツ姿でのご登場です。

地域の子弟の教育は寺院の重要な役目

「いや、お待たせしてすみません。今まで学校に行っていたもので」

–こちらこそよろしくお願いいたします。学校というのは、宝仙学園さんですね?

「そうです。私の祖父が昭和2年に創立したのですが、以来、宝仙寺の住職が宝仙学園の理事長を務めることになってますので、私も平成14年に住職になると同時に理事長に就任しました」

「うちは真言宗なので、弘法大師(空海)が宗祖ですが、彼が作った綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)という施設が、日本初の私立学校、と言われているんです。そういうこともあって祖父は教育に熱心だったようです。『寺子屋』と後の世で言われるくらい、地域の子弟の教育はお寺の重要な役目のひとつですからね」

–それにしても寺院が一貫教育校を持ってらっしゃるというのは珍しいのではないですか?

「そうですね。幼稚園や保育園をやっているところはたくさんありますが、学校まで、しかも一宗派ならともかく一つのお寺でやっている例はあまりないかもしれません。うちも最初は幼稚園から始まって、その後、中野高等女学校ーこれが今の中学校・高校ですがーを作り、それから仏教保育協会保姆(ほぼ)養成所というのを作って、これが後の短期大学・大学になります。それから戦後小学校も作って今に至る、と」

「ですから現在短期大学・大学は保育が中心で、大学は女性のほうが多いのですが、高校までは普通高校ですから、男性のほうが少し多いくらいです」

 

行政機関まであった、広大で歴史のある境内

宝仙寺は青梅街道を新宿方面から来ると中野坂上を過ぎてすぐ右、やや奥まった場所にあります。そして広い境内の中には「中野町役場跡」の碑が。

宝仙寺境内にある中野町役場跡の石碑

–どうしてお寺の境内に役場があったんでしょう?

「なぜ境内か、については広い土地があったからだと思いますが、鉄道(甲武鉄道=現・JR中央線)が通るまでは青梅街道沿いのこのあたりが町の中心でした。このあたりは、当時の粉屋さんとかまだいっぱいあります。有名どころでは中野坂上近くの石森製粉さん(明治5年創業)とか。あぶまた味噌さん(明治18年創業)もうちの檀家さんです。」

「鉄道も最初青梅街道沿いに通す計画だったのが、地元の人は事業の邪魔になるし火の粉が飛んで危ないから(用地売却を)断った、と聞いています。その結果こちらが廃れてしまって、地下鉄(丸ノ内線)開通でまた発展した、と」

なんと明治27年から昭和11年まで。町役場が区役所になってもしばらく境内にあったそうです。住所もこのあたりは中野区本町や中野区中央と呼ばれるので、地名には歴史が残っているともいえます。

「昔、この辺は内藤新宿(現・新宿御苑。内藤家の別屋敷の意味で「新宿」の地名の由来)より外側ですから、郊外の、まあ、田舎ですよね。宝仙寺は江戸時代には将軍家が鷹狩りに来た際の休憩所としても有名だったんですが、鷹狩りに来るくらいなにもない場所ですから(笑)。役場も人が集まりやすい境内にあった、ってことでしょうか」

 

焼け残った奇跡の鐘楼

江戸時代のお話が出ましたが、こちらのお寺の開祖は源義家で、創建はなんと平安時代後期という古刹です。

「真言宗の中でもいろいろ宗派があって、われわれは豊山派(ぶざんは)という、弘法大師から300年くらい後の興教大師・覚鑁上人(こうぎょうだいし・かくばんしょうにん)が興した新義真言宗という宗派の流れを汲むお寺です。最初の場所は今の杉並の大宮八幡のあたりで、その後室町時代くらいにこの場所に移転したと伝えられています。義家が大宮八幡のあたりの地主であるお稲荷さん(=狐の姿をした神)に宝珠を授けられて「これは宝中の仙(宝の中の宝)であるから、代々伝えていきなさい」と告げられたという故事から宝仙寺、という寺名になったと伝えられています。この宝珠は実際にあって、これくらい(手のひら)の、動物の毛みたいな珠ですね。非公開ですが、代々住職が受け継ぐことになっています」

「実は寺の建物は先の戦災でほとんど焼けてしまったんですが、この宝珠やご本尊は他のところに置いていて助かったんです。でも祖父の後を継いで住職だった叔父は戦死してしまいまして、戦後その跡を継いだ父が、少しずつ建物を再建していって。最初は本堂を、昭和28年くらいだったでしょうか。」

–立派な三重塔もですね?

「ええ。でもあれは、当初は山手通りの向こうの、当時あった中野区立第十中学校の脇にあって、あの辺が宝仙寺の飛び地の境内だったんです。今は礎石だけあそこに残ってますが、再建はこちらの境内に行ったわけです」

※中野区立第十中学校は2018年に第三中学校と統合して現・区立中野東中学校に。校舎は旧三中の場所にあり、旧十中校舎は現在はない

–鐘楼の再建が平成28年ですから、鐘が最後だったんですね

「そうですね。鐘は当然戦時中に供出してないままだったのですが、寄付してくださる方が出てきて、ようやくですね。でも実は、戦災で全部焼けてしまった中で、鐘のない鐘楼だけが焼け残ったんです。今、水屋になっている古い屋根、あそこだけ戦前からあります。戦後父が戦地から戻った直後は、あの屋根の下に囲いをして、本堂として使っていたのを覚えています」

戦火の中で唯一焼け残った鐘楼を、今は水屋の屋根として使用

–そうなんですね。なにか、地域の人の拠り所になるよう、鐘楼だけでも仏様が残してくれたみたいですね。そこにある鐘を大晦日に撞(つ)くのは、縁起がよさそうです。撞けるのは108人までですか?来た人だけ撞いていい、というようなお寺さんもありますが

「回数は決めていませんが、ご近所のことを考えるとあんまり遅くまでやるわけにもいかないですし。12時少し前から始まって、1時くらいに終わりにしています。町会の方にも人の整理とかでお手伝いしていただいて助かっています」

–予約は必要ですか?

「いや、別に予約は取っていません。ただ家族で来た方はみなさんで1回、にしてもらうようにしています。撞木(しゅもく=鐘つき棒)に紐を2本結んで、4人でも一緒に撞けるようにします」

–普段はどんな時に撞かれるのでしょう?

「決まっているのは毎月21日、この日が弘法大師の月命日で、御影供(みえく)という法要を行う際に撞きます。それと毎月28日がお不動様の縁日ですね。あと、12月は8日が成道会(じょうどえ)と言ってお釈迦様が悟りを開いた日とされていて、12日が興教大師の命日。これに除夜の鐘を加えると、12月はけっこう多いですね」

–いよいよ今年も終わり、という感じがしてきますね。住職にとって、今年一年はどんな年でしたか?

「そうですねえ。世の中は相変わらず大きな災害が多く、苦しんでいる方が多いのが大変気の毒だったと思います。お寺自体は平穏無事に一年過ぎたかな、という感じです」

–今年は改元がありましたが、そういったことは寺院としては何か関係ありましたか?

「お寺としては特にないんですが、あえて言うと、真言宗ではお正月の8日から15日にかけて、京都の東寺で後七日御修法(ごしちにちみしほ)という大きな法要を行って国家安寧、玉体(天皇の身体)安寧、五穀豊穣などを祈るのですが、この導師を各派持ち回りで行う中、今年は豊山派の管長猊下(かんちょうげいか)が務められました。改元の年の担当でしたから、縁は感じますね」

※後七日御修法は弘法大師(空海)が奏請して始めたもので、天皇が元旦から7日まで行う法要を8日から東寺で行うもの。それ以前は宮中で行われていた

※管長は真言宗における宗派や本山の長の呼称。猊下は高僧に対する尊称

 

これからの中野と子供たち

–最後に、これからの中野がどうなっていってほしいか。今後のお寺や学園についてお聞かせください

「中野駅前で今、大きな再開発が進んでますよね。ここは中野坂上が近いのですが、坂上も鉄道や高速道路の開通と、オフィスビルの建設で一気に様変わりして、なんとなくオフィス街が新宿からこちらに近づいてきているような感じがします。そういう意味では、向こう数年で中野は街自体もそうですが、訪れる人たちや住む人たちも含めて大きく変わっていくんだと思いますね」

「宝仙学園の建学の精神はもちろん仏教主義ですが、子供たちには言葉として、品格と知性を合わせ持ちなさい、と教えています。最近も文科省が道徳を教科化したりと話題になっていますが、教科にするかしないかはともかく、道徳的な教育は置き去りにされやすい状況にはありますので、きちんと教えていきたいですね。住む人や訪れる人が変わっていく中、地域の子供たちは、品格を大事にする大人に育ってほしい」

「親にとっても子供にとっても進学問題が学校在籍中に一番大きな課題にどうしてもなってしまうので、簡単に片付く問題ではないけど、大事にしていかなければいけないな、と思っています」

 

富田道生(とみたどうしょう)
1950年中野区生まれ。
幼稚園・小学校まで宝仙学園。
中学高校はかつて増上寺が設立した芝学園。
真言宗豊山派が設立団体のひとつである大正大学を1973年卒業、宝仙寺の僧となる。
僧となってまもなく、高野山密厳院(興教大師の自所だった寺院で宿坊)に1年ほど滞在し、訪れる人の世話をしながら僧としての務めも行った。
2002年、52世住職の父の引退を機に53世宝仙寺住職に。

 

【中野のお気に入りスポット】
中野坂上
「大江戸線が開通して、首都高の入口もできて、一気に便利になりましたね。どこへ行くにもすぐ近くではないけど遠くもなく、ちょうどいい距離感ではないでしょうか。大きなビルが建って、オフィス街ができて、新宿とつながったような感じがありますね」

 

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