【中野人インタビュー】人間国宝 能楽師 梅若実氏

みなさんは“能”をご覧になったことはあるでしょうか。

能とは、鎌倉時代後期から室町時代初期に完成を見た日本独自の舞台芸術の一種で、現在では日本における代表的な伝統芸能として位置づけされています。

本日は中野区にある「梅若能楽学院会館」を拠点の一つとして活動する人間国宝(重要無形文化財保持者)の観世流シテ方能楽師、中野区の名誉区民でもある梅若 実(うめわかみのる)先生にお話を伺いました。

 

中野で培われた豊かな感性

–梅若先生は ずっと中野区に住まわれているのですか?

 「もともと梅若家は浅草の厩橋(うまやばし)にあったのですが、戦災でそこにあった舞台も焼けてしまいまして。縁もあってここ中野に新しい土地を見つけ、移り住んだのが私が3歳の頃です。」

「それからは中野の舞台を本拠地にしています。昔の中野(坂上のあたり)は、今のように都会の雰囲気は全く無く、本当に田舎でした(笑)。夜になると真っ暗でしたし。ですが家の前にはお花畑があったり、庭の大きな池には菖蒲や睡蓮が咲いていたりと自然に囲まれたひじょうに豊かな場所でもありました。そういった場所で自然と接点を持ちながら子供時代を過ごせたのは、豊かな感性を養う・学ぶという意味ではとてもいい環境だったと思っています。」

–能の修行もずっと中野で?

ここ「梅若能楽学院会館」が完成したのが昭和36年、私が13歳の頃です。なのでそれまでは他の舞台に出たりしていたのですが、ここが完成してからはほとんどここで稽古や能を上演してきましたね。今は全国各地を拠点に活動しているので、大阪や地方に滞在している期間も長かったりもしますが…。中野の舞台に帰ってくるとやはり「私の能の原点」というのでしょうか、いつも身が引き締まります。」

梅若能楽学院会館の能舞台

 

二人の“先生”による修行時代

–13歳より前にもう舞台に出られていたのですね。

「初舞台は3歳の時です。「鞍馬天狗」という演目の中で、花見に行く子方一団の一人として初舞台を踏みました。稽古は幼少の頃は祖父がつけていてくれたのですが、祖父からは「能の技」というよりは「能の楽しさ」を教えてもらいましたね。まだ幼くもありましたから。まずは能というものを好きになってもらう、そんな感じでした。」

「12歳からは父に稽古をつけてもらうようになったのですが、父は師匠としては非常に厳しい人でした。子供であっても大人と同じように稽古をつけますし、稽古の先にある理想、到達点というべきものでしょうか、そういったものをしっかりと教えてくれる人でした。梅若家に生まれ、能をやっていくということはどういうことであるか。いずれは人にものを教えていかなければいけない立場になる、そういった厳しい「心構え」や「覚悟」を教わりましたよ。しかしいま思うと私は二人の先生から教えを受けたということであり、それは本当にいい経験を得ることができたな、と思っています。」

羽織に施された梅若家の家紋

 

はじめての能を楽しむのに難しい決まりはない

–能の舞台で先生のお気に入りの演目とかありますか

「私は舞台に初めて上がってからもう70年以上経ちますが、基本的にお気に入りや得意な演目が特にあるわけではありません。柔らかな女ものや鬼が出てくるような激しいものまで様々やってきましたし、そもそも能はそういったものを全てやっていかなければなりません。オールマイティーでなければいけないと思っています。だからこれからも色々なものに挑戦したいと思っています。自分の得手不得手を定めず、能の道、能の世界を常に広く持ち続けたいと思っています。」

 

–能を初めての人が楽しむためのポイントとかはありますか

「これは人それぞれだと思います。『能はこうやって観るべき』と決めつけずに、とにかくまずは一度観て欲しいと思います。最初は能面だけを注目して観てもいいし、衣装なんかに興味を持ってもいい。能楽師のすり足の動きなんかでもいいし、とにかく自分が「いいな」と思ったところを集中して観るところから入ってみてはいかがでしょうか。初めから全てを理解しようとして観ない方がいい。小さな部分から入っていくことで楽しめるようになると思います。
小学校低学年の子供たちに教えにいったりすると、能というものを完全に理解していなくても何か楽しんでいる様に見えます。そういうのを見るとそれでいいと思いますし、「やっぱり日本人なんだなぁ」とも思います。」

 

能という文化について

「能は信長・秀吉・家康の時代から特に盛んになりました。江戸時代にはお茶とともに武士の嗜みの一つとして身につけておく必要がありましたし、武士への褒美として茶器とともに能面、能装束などが与えられることもあったそうです。梅若家にも2代目将軍徳川秀忠より褒美として授かった400年前の能装束が残されています。そういった歴史もあって能は人々の間にどんどん広まっていき、明治時代には能を習うお弟子さんを1000人持つ人がいる、そんな時代もありました。昭和30年〜40年ごろは、お稽古ごととして一番ニーズも多かったとも聞きます。」

「能を観て興味を持った方など、どんな方でも能は学べますし、能楽師になれる可能性があります。大学で能楽サークルに入ったのをきっかけに、そのままプロになった人だっています。昔に比べて、能に携わる人は減ったとは思いますが、私はこのような人たちがもっと増えたらいいなと思います。そのためには、もっと能に興味を持ってもらえるような、また能を観ることができる機会というものを作っていきたいと思っています。」

 

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梅若能楽学院会館では年間を通して様々な公演を行なっています。 
また、お稽古事としての生徒募集も随時行われているので、能に興味を持たれた方は一度訪れてみてはいかがでしょうか。

★梅若能楽学院会館の公式サイトはコチラ

 

梅若 実(うめわか みのる)
1948年(昭和23年)中野区生まれ。宝仙学園幼稚園出身。
3歳の頃より舞台に立ち、1988年(昭和63年)「五十六世 梅若六郎」を襲名。
2007年(平成19年)日本芸術院会員就任。
2009年(平成21年)「二世 梅若玄祥」へ改名、2018年(平成30年)2月16日に「四世 梅若実」を襲名。
日本を代表するシテ方能楽師の一人として知られ、数多くの賞を受賞している。

2014年(平成26年)重要無形文化財各個認定(人間国宝)。
2016年(平成28年)初の中野区名誉区民に選定

【中野のお気に入りスポット】
中野氷川神社


「子供の頃は友達みんなを集めてよくここで遊びました。今でも訪れると懐かしい気持ちになりますよ。今でも中野氷川神社さんにはお世話になっていて、毎年お正月には一年の無事を祈って宮司さんに舞台のお清めをしてもらっています。」

★中野氷川神社について詳しくはコチラ

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