【中野人インタビュー】東京工芸大学 芸術学部長 吉野弘章氏

東京工芸大学中野キャンパス 写大ギャラリーにて

1923年、日本初の写真専門の高等教育機関としてスタートし、まもなく創立100年を迎える名門大学。1950年から中野にキャンパスを置き、2003年には日本初のアニメーション学科を設置したことでも知られる東京工芸大学芸術学部長の吉野弘章さんにお話を伺います。

「写大」から「工芸大」へ。ハイブリッド教育の先駆け

–こちらは昔は東京写真大学、ベテランカメラマンの間では「写大」の通称で有名でしたね。先生もここのご出身ということですが、当時は写大・・・?

「いえ、私が入ったときはもう工芸大でした。1976年まで写大だったんですが、私は1983年入学なので。」

「二文字で表せる大学は名門が多い、とよく言われたりします。東大、京大、阪大、北大、芸大とか。だから写大の名前に愛着を持つ先輩も多くいらっしゃると思います。いまでも工芸ってクラフト(手工芸品)の意味の方が強いですし。本学は工学と芸術を融合して最先端の教育をする、というコンセプトでこの名前なんですが、言葉って時代とともに新しい意味が加わったり変わったりするものだと思います。ですから、本学の存在感でこの新しい『工芸』の意味が加わっていけばいいな、と思っています。」

–先生は写真学科を卒業されているそうですが、カメラマン志望だったんですか?

そうですね…どちらかというと旅ができる仕事に就きたい、というのがまずあったんです。有名な報道写真家のロバート・キャパの『ちょっとピンぼけ』っていう自伝エッセイを読んで感銘を受けたのが、この大学を目指すきっかけになりました。ですから面接でも『自分は報道写真をやりたい、一枚で世界を変えるような仕事がしたい』って威勢よく言っていたと思います(笑)。ですが、卒業後はアート系の写真専門のギャラリーで仕事を始めました。」

「ただ卒業からギャラリーで仕事をするまでの間に1年くらいニューヨークへ行ってました。バイトしてお金貯めて、ニューヨークに行って、劇場で大道具の仕事の手伝いをしながら、舞台の写真を撮っていました。」

–さすが旅を仕事にしようと思われただけのことはありますね

「そういう若い時期にちょっと放浪したりするのは貴重な時間ですよね。それで日本に戻って写真専門のギャラリーに勤めるんですが、ニューヨークにいた経験がありましたから、そのうち作品の買い付けにアメリカに行くことが増えたりして、企画や作家のマネージメントなどもやるようになりました。」

「1980年代後半から90年代始めって、東京都写真美術館もそうですし、写真に限らず国内に美術館などがどんどんできた時期だったんです。ですから私が買い付けた作品は美術館にけっこう需要があって、仕事は順調でしたね」

「その後、ご縁があって2004年から京都造形芸術大学で教員として教鞭をとることになりました。」

 

「写真」には、アート(表現)とテクノロジー(技術)の両面の研究テーマがある

–芸術学部として、大学のサイトにはアートとテクノロジーを融合させた『メディア芸術』を教育の根幹にする、とありますが、いわゆる『メディアアート』にマンガやアニメーションを加えるのはめずらしい考えですね

「『メディアアート』は音声や映像を使ったアート、というのが一般的なイメージですが、「何かコミュニケーションのためのメディアさえ使っていればそこに含まれる」という広い意味から「コンピュータアート」くらいの狭い意味まで、人によって解釈が違うところがあります。一方で2001年に制定された『文化芸術振興基本法』(現・文化芸術基本法)の中に、映画・マンガ・アニメ・その他電子機器等を利用した芸術を『メディア芸術』と呼ぶ、と規定されていて。それがちょうど本学の芸術学部の学科編成に近いので使っていて、またこの説明が学生たちにも理解しやすいと私は考えています。」

「ただ、文化庁がクールジャパン的な有望な輸出産業としてこれらを選んだのと、うちの成り立ちは違うと思います。元々、1923年(大正12年)に写真の専門学校としてスタートした当初から『写真には表現(アート)と技術(テクノロジー)両面の研究、教育の必要がある』という考えがありまして。芸術学部を作るときにも、写真学科があり、同じくカメラを使う映像学科があり、写真を使った印刷などとも関係があるデザイン学科がある…といった3学科からスタートしていますし。」

「その後のテクノロジーの発展や社会の変化に合わせて、メディアアート表現学科(現・インタラクティブメディア学科)ができて、アニメーション学科・マンガ学科・ゲーム学科…と増設していったんです。」

 

サブカルの聖地、中野と工芸大

「アニメに関しては、観る時にその構造的おもしろさに注目しています。作り方が建築物みたいだな、と思ってまして」

–建築物、ですか?

「アニメを作るときは、写真みたいに何カットも撮ったあとに『やっぱりこれは使わない』と簡単に絵をボツにするわけにはいかないですよね。2時間の作品を作るとなったら『各シーン何分何秒で何枚の絵が必要』みたいに綿密な設計をして、その通りになるように必要な枚数の絵を描いて組み立てていく作業なわけです。そんなことを考え出したら、アニメを観るのがすごく楽しくなりました。こう動いてこのカットになるのか、と。一種の建築物探訪みたいなおもしろさがあります。」

–なるほど

「ゲームはあまりやりませんが、やるとハマってしまうタイプなのかもしれません(笑)」

–じゃあ、ブロードウェイなんか行ったら大変ですね(笑)

「行くと楽しいですよね。中野ブロードウェイは写真集なんかもけっこう充実してますし、お宝が発掘できそうな感じがあります。行ったら何時間でも過ぎてしまうので、行くのは時々にしてます(笑)」

–こちらの大学の方が全然先ですけど、サブカルの聖地と呼ばれている場所にアニメやゲームを教える大学があるのはいいですね

「そこは学生にも魅力みたいです。今は中野区にサブカルに関係した企業も多くありますから、それこそ生まれてから仕事に就くまでずっと中野という卒業生も多く出てくるんじゃないでしょうか。」

–地元との繋がり、という点ではどういった活動があるのでしょうか?

「なかのまちめぐり博覧会への参画や、公開講座への講師の派遣、小学校との共同授業などいろいろとやっています。」

「あとこれは杉並区の話になりますが、杉並アニメーションミュージアムの命名権を取得しています。」

–はい、記事で読みました。大学が命名権を取得するのってめずらしいな、と思って。あれは先生の発案なんですか?

「そうです。新聞で募集の記事を見つけました。中野区や杉並区にはアニメ関連の企業が多く、卒業生も多く活躍していますので。」

「今、中野も駅前再開発が進んでいますし、今後いろんな施設もできるでしょう。また中野区とも、何か共同プロジェクトができたらいいなとも思っています」

 

スペシャリストとして課題解決能力を高める

–では、最後に、ここで学ぶ若者たちにどのように社会に羽ばたいて行って欲しいか、ちょっと学校っぽい話題で締めたいと思います

「本学はどちらかといえば専門教育を得意としていますが、例えば、私が写真を勉強し始めたころって、最終目標はシャッターを切る仕事、要するにカメラマンになることでした。でも今は社会も技術も多様化して、写真に関わる仕事はたくさんあります。そもそも私も写真家ではありません。その意味で、今の学生は写真を勉強したらカメラマンしか目指さない、といったことはなく『どの学科に入ってもその先は一本道ではない』という柔軟な考えを持っていると思います。」

「自分の経験もあり、これからの学生たちの未来を考えると『仕事』っていうのはどんなものでも、まず課題解決能力が問われるものですよね。これまではジェネラリスト的感覚の持ち主がそういった能力に長けている、とされてきたことが多いですが、スペシャリスト、専門的教育を受けた人の課題解決能力は、ジェネラリスト的な人と比べても決して負けない部分があるんじゃないかと思っています。」

写大ギャラリー カメラ展示スペースにて

–間違いなくそうですね

「何かを極めることによって、その武器でいろんなことに対応できて、時代の変化にも逆に対応できることもあるんじゃないかと思います。」

–学科同士の交流も比較的多い大学だ、と何かで読みました。実学を学ぶ場として理想的ですね

「ありがとうございます。でも、そこはもっと広げていかないといけない、今後の課題ですね。実際の仕事の現場では、本学の各学科の専門分野がコラボレーションしていることが多い。シンプルな例で言えば、CG背景に実写で何かを制作する、あるいはその逆もあるでしょうし。その意味では、メディア芸術全般のスキルを身に付けつつ、専門的なところはとことん突き詰めていく。そういった教育をもっと高めていきたいですね。」

 

吉野弘章(よしの・ひろあき)

1965年 東京生まれ
東京工芸大学大学院 芸術学研究科博士前期課程修了
1980年代より写真専門ギャラリーにて展覧会プロデュースや作家のマネージメントを行う
2009年より東京工芸大学芸術学部写真学科で教鞭をとる

2015年より東京工芸大学芸術学部長

 

【中野のお気に入り】
写大ギャラリー

手前味噌ですけど、ここは自分が企画プロデュースしており、私にとってもちょっとした憩いの場になってます。一日何回も展示を見にいくこともあります。元々(東京工芸大に来る前は)商業的なギャラリーでプロデュースの仕事してましたが、ここでは純粋に写真の楽しさを追求した企画をできるのでおもしろいですね。一般にも公開しているので、ぜひみなさんもいらしてください。

 ※2020年3月〜5月17日まで「土門拳 写真展『東京1936-1967』」を開催中。幻に終わった1940年の東京オリンピックと、1964年の東京オリンピック、それぞれの前後の東京を写した写真を展示。土門拳の写真は約1,200点もの収蔵がある。

■10:00~20:00 会期中無休 入場無料

 

※諸般の事情により、会期や開館時間が予告なく変更になる場合がありますので、写大ギャラリー公式サイトをご確認ください。

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