【中野人インタビュー】 表具師・九代目祐正庵/東京都伝統工芸士・現代の名工 田中正武氏

(左)田中正武氏、(右)成澤啓予氏

今回は中野で50年以上にわたって表具師として活動されている田中正武さんと、その跡を継ぐ娘の成澤啓予(ひろよ)さんの作業場にお邪魔しました。『表具師』とは、襖や屏風、障子、掛け軸など、和的な内装の修復、製作を行う伝統工芸師のことを差します。今回お話を伺ってみて、その作業は非常に熟練された技の上に成り立っていることがわかりました。

 

かつては絵や書の修復から内装全般まで、すべて表具師の仕事だった

―表具師というのはいつ頃からある職業なんでしょう?

「元は奈良時代に仏教が伝来して、全国に国分寺を作る際に、経巻といって、写経した経典の巻物ですね、これをたくさん作らないといけない。そこで宮廷内に『経師』という立場の人間が生まれた。私たちのルーツもそこにあります」

―『表具』というと襖とか屏風のイメージでした

「そういったものは後からです。平安時代になって中国から屏風が入ってきて、チベット仏教からはタンカという曼陀羅を掛ける布地みたいなもの、あれが入ってきて掛け軸になり、それから『表具』という言葉が使われるようになりました。」

「襖は、御簾(みす)が進化したものだと考えられています。武士の時代になって書院造の建物が広まった時に襖や障子が生まれてから、権力者は絵師に襖の絵を描かせたりするようになりました。そしてそれをしつらえるのも経師の仕事になっていったのです」

作業のための道具を操る田中さん

―それで今でも襖には何かしら絵柄があるという伝統が残っているわけですね

「ですから今でも組合の名前が『表具経師内装文化協会』なんです。壁紙が日本に入ってきた時に貼っていたのも表具師なんですよ」

―壁紙?すると普通に内装工事を行う仕事もこの協会、ってことですか?

「はい。今だったらクロスを貼ったり、床を貼ったり。表具と内装は最近まで別の仕事ではなかったんです」

―それで田中さんの会社(アイディ・タナカ)にも内装工事部と表具工芸部があるわけですね

「会社は私の弟が社長をやっています。娘の旦那と一緒に内装工事の責任者でもあります。私は表具の仕事を家内や娘にも手伝ってもらいながらやっていて、表具師としては私が九代目で、娘が十代目を継ぎます」

 

記録にあるところからでも、200年の歴史を持つ田中家

―ご主人で九代目、というと、いつ頃の創業ということになるでしょう?

「元は奈良の経師の出でしょうが、うちの家系歴で記録に残っているのは文化文政年間(1804-1830年)から。宝暦年間(1751-1764年)に伊賀上野から初代が江戸に来て、天保5年(1835年)には本多家家臣として表装を行った記録があります。江戸末期に麻布から麹町に居を移したようです。私も麹町の生まれです」

―記録に残っているところからでもざっと200年ってことですね

「その頃は武家表具と町表具とあって、うちは武家なので、江戸城の前に住んで、大名屋敷や江戸城の中の仕事をしていたようです。明治になって先々代が独立して店を構え、先代が昭和39年(1964年)に会社組織にして、昭和41年(1966年)に中野に移転して今に至ります」

「先代は戦時中徴兵されて満州に渡った後、表具の技術を求められて現地からの帰りが遅くなりまして。体を壊していたのもあり、会社設立から4年で亡くなってしまった。そのため先々代のお弟子さんたちに助けられながら、私は一人前になりました」

―ゆくゆくはご主人の『祐正庵』の名前をお嬢様が継ぐわけですね

「いや、これは私だけの名前なんです。目黒にある祐天寺、そこの地蔵堂という国の有形文化財の修復をやった関係でこの名前にしたんです。本当は『田鉦(タナショウ)』って屋号があるんですが」

「私も『田鉦』に戻せば?って言ったんだけど。どうしても『祐天寺』の『祐』を入れたいとこだわってまして(笑)」(成澤さん)

戦時中は”疎開”させて残ったという「田鉦」の屋号を示した旗

 

国内外からさまざまな依頼が

―やっぱり、こうした文化財の修復とかの仕事が多いんですか?

「いろいろですね。でも先ほど話したようにお寺関係が多いです。例えば中尊寺が世界遺産になった時に、拓本の額を製作しました。千駄ヶ谷の大日本茶道学会の茶室なども。そうやって全国を回ることもあります。あと有名な柳原白蓮さん※の書なども修復しました。白蓮さんは先々代からのお得意さんだったんですよ」

※大正天皇の従姉妹で、実業家の妻でありながら学生と駆け落ち結婚した『白蓮事件』で有名

―歌人のお得意さんもいるんですね

「書家とか、画家とかもね」

「広島平和記念資料館の写真をプラチナプリントして屏風にしたものは大英博物館に展示されました。和紙にプリントした写真を屏風にしたこともありますよ」

―これは? 縦にも横にも開く屏風なんですね

「これはスコットランドの王室への贈呈品を依頼されていくつか作ったものですね。最終的に先方のところに行かなかったのがここに残ってる。『蘇格蘭』でスコットランドって読むらしいです」

1つの屏風が2通りに開く不思議な構造

「他にも埼玉の大長寺ってお寺の仏像の中から出て来たボロボロの小さな書の修復や、江戸時代の画家“伊藤若冲”の作品をロシアのプーシキン美術館に出すために修復したり・・・あと月岡裕二という有名な先生の作品で、砂子(すなご=金箔を細かい粉にしたもの)を使った絵の壁画製作にも携わったりしました。」

「最近銀座にできた外資系のACホテルっていうところの壁をしつらえる仕事をしたんです。高知で活動してるオランダ人のロギール(・アウテンボーガルト)さんという有名な和紙職人さんから、和紙を貼るのはウチにやってもらいたいと。そういった流れで依頼があったりもします」

―本当に多岐にわたるお仕事をされているんですね

 

中野に移転して54年。今では地元生まれだと思われてる

―先代が麹町から中野に移られたのはどういった経緯からですか?

「戦後の道路拡張計画、新宿通りを広げるにあたって当時の作業場から移転したんです」

―移転先に中野を選ばれたのは?

「本来江戸の人間だから、江戸内がよかったんだけど、そうしたところではいつまた都市計画で立ち退かされるかもしれない。中野のこの辺りは昔、本郷弥生って呼ばれていたんです。同じ名前が文京区にもありますよね。『本郷もかねやすまでは江戸のうち』って川柳で有名な。その『江戸のうち』といわれていた本郷と同じ名前だし、ここがいいんじゃないかと」

―移られた当初の印象はいかがでした?

「その頃はまあ、田舎でしたよね(笑)。でもここらはお祭りが盛んな土地で、町の団結力が強い。麹町でも私は赤坂日枝神社のお祭りで育ちましたから、水が合いました」

―こちらでのお祭りっていうと?

「本郷氷川神社ですね」
「私は弥一東町会若睦会獅子舞保存会にも所属してるんです」(成澤さん)
「50年以上ここのお祭りに関わっていますから。私なんかも、もう地元生まれだと思われてると思います」

―では名前で選んで正解でしたね

「大正解だったね。あとこの辺は山手の下町って呼ばれているんですよ。それがまた合うんですね」

―中野が山手の下町というのはよく聞きますが、麹町が下町っぽかったっていうのはご主人くらい歴史のある人でないとわからないかもしれないですね(笑)

 

江戸の表具師にとっては、東京は今でも徳川の城下町

―話を表具師に戻して、現在は当然内装工事の仕事の方が多いと思いますが、表具師としての仕事は今後も途切れなくあると思われますか?

「まだ無くなることはないと思います。お得意さんもいますし。ただ、少なくはなっています。刷毛とか鋸とか、道具を作る職人さんもどんどん減っています。実はさきほど、更紗を染める時に使う型を作る人が来ていたんです。『もう作業場を閉めちゃうから預かって欲しい』と型を置いていったところなんです」

「茶道や華道の先生の仕事をすると、そのお弟子さんがまたお得意になってという流れが昔はあったのですが、今は習う人が少なくなって、そういう仕事も減っています」

壁に並ぶ道具たち。かつてはこれらを手掛ける職人も細かく専門に分かれてあったそうだ

―東京だけでなく、経師発祥の地の奈良や京都でもそのような状況なのでしょうか?

「表具には元々“江戸表具”に“京表具”、それに“金沢表具”っていう大きな流れがあって、職人の人数では京都が一番多いです。国から助成金も下りてるし、お寺などからの需要も多いですし」

―京都では寺院や茶室は観光という重要な産業の一部ですしね

「東京は戦争でみんな燃えちゃいましたからね。江戸城も幕末に皇居になりましたし。いわゆる料亭も我々にとってはお得意さんだったのですが、料亭政治批判が起きて、政治家が使わなくなると普通のお客さんまで減って・・・結局どんどん数が減っていきました。昔は江戸も京都も同じくらいにお寺やそうした文化があったはずなんですが。“江戸城を建て直してくれると経師屋も畳屋も復活できるな”と考えるあたり、我々にとって東京はいまだに徳川の町なんです」

 

 

今回せっかく作業場にお邪魔したので、実際の作業風景を見せてもらいながらさらに詳しく表具師のお仕事について伺いました。

古くてもろくなった絵は、折れ伏せを使って補強し、汚れを取る

―今回作業を見せていただくお仕事の依頼は個人の方からですか?

「これは個人のお客さんからですね。大事な家宝の絵らしいです。ボロボロだったのできれいに修復して額装したいと」

―お寺や茶室などの仕事が多いとのことでしたが、個人のお客さんもいるんですね

「個人のお客さんは中野区の伝統工芸展※で知ってもらってという人が多いです」(成澤さん)

※中野区内の職人が一堂に集まり、実演を交えながら展示を行うイベント。表具師のほか、江戸手描友禅、和人形などさまざまな職人の技に触れられる。

「まずこの、“折れ伏せ”という細い紙の帯を作って、作品の裏から貼ります。その後、染みや汚れを落としていく。折れ伏せは越前和紙っていう、重要無形文化財にもなっている丈夫で薄い和紙で作ってます」

―何層にも切り込みがある和紙で裏から補強してからクリーニングする、と。染みはどうやって抜くんですか?

「それはもういろんなやり方があるけど、文化財なんかは薬品使っちゃダメなんですよ。だから水だけで落とします。ちなみに今回の依頼品に描かれていたのは最初は天女かと思っていたのですが、汚れを取って字が見えてきたら南無観世音菩薩って書いてあるから、観音様の絵だということがわかりました」

―そんなに洗っても文字は残るんですね。墨ってけっこう強いですね

「墨は強いですよ。千年くらい大丈夫。でも墨汁はダメですよ」

―墨を磨ったものなのに?

「墨と墨汁は別のものです。製造方法が違います。墨には膠(にかわ)が入っていて、それが長く残って滲まない秘訣なんです。墨汁には固まりやすい膠は入っていないか、それに替わるケミカルなものが入っていることが多いから」

―墨汁を使わず、きちんと墨を磨って書くというのには、ちゃんと意味があるんですね

柿渋を塗った板に何ヶ月も貼っておく

「こういう、柿渋を塗った板に貼っておいておきます」

―柿渋の効果っていうのは?

「防水、防カビ、それに殺菌ですね。この板に何ヶ月か貼って作品をしっかり伸ばすんです」

―何ヶ月もですか

「梅雨の時期なんかはもっと長いですよ、湿気が入っちゃうから。古いもの、文化財なんかだと、半年とか貼っておくこともあります」

「ほら、裏から見ると、折れ伏せ貼ってあるのがわかるでしょう?線があって」

刀鍛冶が作った包丁で切る

「切るのはね、この丸包丁っていう包丁を使います。『水心子正盛』って書いてあるのは、江戸から続く刀鍛冶の作品の証なのですが、もう今は作っていないんです。会社はあるけど鍛冶の人がいなくなってしまって。うちにはまだ何本かありますが、毎回研いで使うから、どんどん小さくなっています。」

『水心子正盛』の丸包丁。左がまだ新しい包丁。右は研ぎながら使ってきたため、刃が小さくなっている

糊は濾すと接着力が増す

「糊はこうして刷毛で濾すと、接着力が出てくるんです。この糊も一般には売っていない質のいいものなんですが、文化財や貴重なものを修復する場合は防腐剤の入っていない天然のデンプンだけで作った糊を自分たちで煮ることもあります。昔は糊専門店があって、必要な分だけ煮てもらったりしていたんだけど、今はそういうお店もなくなっちゃいましたね」

―関連する職人さんもどんどんいなくなっちゃってるんですね。一般の図画工作に使うような糊でも、こうすると接着力が増すんですか?

「そうです。今度試してみるといい」

小学生も知っていた、倉又式噴霧器

「貼る前にざっと霧吹きして乾かします。この倉又式噴霧器っていうのが、とてもいいものなんです。世界的にも有名です。中野の伝統工芸展で使ってたら、小学生が、『あ、倉又式だ!おじさん、ちょっと試していい?』って言ってきて。なんでもテレビで見たらしいんですが、今の子供の情報量ってのはすごいね(笑)」

小学生にも知られていた倉又式噴霧器

額選びも手掛ける表具師

―この額は依頼主から持ち込まれたものですか?

「いや、こんな感じの額がいい、って聞いて、こちらで額屋さんに発注してます。最近はそうしたディレクションもやることが多いです。依頼主さんにしてみても、画材屋さんとかで自分で額を買うより、ウチにまかせたほうが額屋さんに直接発注するから安いしね」

ということで無事完成。みなさんも依頼したいものがあったら、ご相談してみてはいかがでしょうか。

 

田中正武(たなか・まさたけ)
1942(昭和17)年 麹町生まれ
宝暦年間より続く江戸経師の九代目
1968(昭和43)年より先代が興した田中表具店(現/アイディ・タナカ)の代表取締役に
2003(平成15)年より会長就任。同社内に表具工芸部を設立し、祐正庵を名乗る
2019(令和元)年 黄綬褒章受賞

成澤啓予(なりさわ・ひろよ)
1970(昭和45)年 中野生まれ
父・田中正武の跡を継ぐ十代目
中野区伝統工芸保存会 副会長
地元のミニバスケットボールクラブ「弥生クラブ」のマネージャーも務める

★2019年に開催された第28回中野区伝統工芸展のイベントレポートはこちら

【中野のお気に入り】
本郷氷川神社のお祭り

「元々麹町でも祭りの中に生まれた人間だから。ここも江戸の祭りの文化が残っているんだよね」(田中さん)
「私は獅子舞保存会でお神楽担当。山車に乗って笛吹いたりする人です」(成澤さん)

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