【中野人インタビュー】中野ブロードウェイ商店街振興組合 理事長 青木武氏

 

“サブカルの聖地”と呼ばれる中野を代表する観光スポット「中野ブロードウェイ」。
フィギュアやアニメのセル画といったアニメ・サブカル系のお店だけでなく、書籍やアパレル・生鮮食品など様々な業態のお店が300以上もこの商業施設に入っています。

今回の中野人は、その中野ブロードウェイの商店街振興組合理事長・青木武さんにお話をうかがいます。

中野ブロードウェイは日本初のショッピングコンプレックス(商業住宅複合施設)

–青木さんはここ中野が地元だと聞いていますが

「生まれは栃木県日光市ですが、生まれてすぐ中野へ引っ越ししました。1歳の頃からずっと中野なので、もう70年以上中野に住んでいることになります。一度も他所に出ていないし、地元は間違いなく中野です。」

–中野の移り変わりをご自身の目でずっと見てきたわけですね

「そうですね。60年ほど前(1958年)アーケードが築かれたのが中野駅北口の黎明期の始まりなのですが、その後1966年に営団地下鉄東西線が開通して中野駅がターミナル駅となり、そして1966年中野ブロードウェイの開業が、今の街の基礎になっていると思います。」

「当時の中野ブロードウェイは、非常に先進的な商業施設でした。周りにそこまで高い建物がない中、突如できた地上10階の高さを持つ建物は、低層がショッピングセンターで中層より上が一般住居マンションとなっているという、当時の日本では他に類を見ない商業住宅複合施設だったんです。」

–今でこそそういった施設は他にもありますが、当時はかなり新しい試みだったのですね

「ショッピングモールのさきがけとして殷賑を極め、常に先頭を走ってきた施設だったと思います。もちろん浮き沈みはありましたが。」

–サブカルの聖地・中野を代表する、今の中野ブロードウェイのイメージとは少し違います

「今のような中野ブロードウェイに変化していったのは30年ほど前、平成になったばかりの1990年代初め頃からでしょうか。バブルがはじけ、日本経済全体が本当に冷え切っていた時代です。中野ブロードウェイも例外でなく、私も開館当初から1階でバッグショップを営んでいたのですが、各階シャッター通りと化していました。本当に苦しい時代でしたよ。」

「しかしすでに中野ブロードウェイにお店を構えていた「まんだらけ」さんをはじめとするアニメ・サブカルチャーグッズを取り扱うお店がその頃から徐々に大きく成長しはじめ…。そういったアニメ・サブカルの文化が注目を集め始めた時代ということが後押ししたこともあり、中野ブロードウェイは大きく変化していったのです。」

 

中野の街全体の10年先のビジョン

–今や中野ブロードウェイはアニメ・サブカルを代表するスポットとなっています

「そのこと自体はとてもいいことだと思います。しかし“今後どうするか”が非常に重要になってきました。特に今年のコロナ禍の影響で、世の中全ての価値観が変わりはじめています。中野ブロードウェイのような商業施設や商店街は、本来にぎわいを求められる場所であるはずなのに、それを求め辛くなった。今までと同じようなやりかたが通用しなくなっていく中で、これから10年先のビジョンを描いていくことがますます大事になっています。今ある価値のうえにあぐらをかいていては生き残れなくなる。しかも中野の街においては、中野サンプラザも解体が決まり、ランドマークの一つが無くなるのはさらなる逆風となります。再開発が終わるまでの空白の10年を乗り越え、10年先に向けて何をしていくかというビジョンを、中野ブロードウェイだけでなく中野の街全体で考える必要があると思います。」

–青木さん自身は、どのようなビジョンをお持ちですか?

「私は一つのキーポイントとして“5G”があると思います。もちろん10年後には6Gなどに進化しているでしょうが。テレワークは今後ますます普及し、東京一極化も薄れていくでしょう。コロナの影響でイベント会場に人は集められない中、ますますオンライン配信は需要を伸ばし、巨大な大人数ホールやイベント会場はこれまでと比べるとあまり必要とされなくなる。しかし、それでも街は人々に来てもらわなければいけない。中野ブロードウェイも然りです。しかもただ人が来ているだけではダメで、そこには他の街にはないようなワクワク感やダイナミズムも必要となってくる。そのためにビジネス、交通手段、観光あらゆるものを新しい観点で、頭を空っぽにして見直す中で、この5Gといった新しいネットワークを活用していくことが重要になってくると考えています。」

–最新の技術に注目されているのですね

「今はコロナも含め、誰も経験したことのない未知のゾーンに入っています。そんな新しい世界の中で生き残っていくためには、新しい技術・アイデアを積極的に取り入れていく必要があるでしょうね。」

 

中野ブロードウェイは新しい動きのための“触媒装置”

「しかしそのためには、もっともっと若い人たちの力が必要です。私が中野ブロードウェイ商店街振興組合の理事長になったのは、前身の任意団体の頃も含めると今から18年前。そのころは自分も含め、周りの人達にも若さとエネルギーがありました。アイデアが次々と生まれ、それに対してみんなが一緒に動いてくれた時代でした。ちょうど中野ブロードウェイがアニメ・サブカルの聖地として生まれ変わり始めた頃ですね。しかし当時のお店も人も少しずつ減っていくにつれて、生まれるアイデアもパワーも少なくなってくる。けれども時代は進み、常に現在の状況のように変化を求められています。」

「そんな時に若い人たちの力が必要なんです。ところが、これは日本の大きな問題の一つでもあるのですが、若い人たちの意見は組織の中ではどうしても優先順位として低くなりがちな傾向がある。私たち歳をとった人間では出てこないような新しい発想を持っているのに、それを発言する機会がない。それはとてももったいないことだと思います。ですから是非、ここ中野ブロードウェイをそういった若い人たちの意見の受け皿にしたいんです。どんどん新しいアイデアを持ち込んでもらい、どんどん若い人たちを呼びこんで欲しい。そのために大いに中野ブロードウェイを新しいアイデアを実現させる触媒装置として活用して欲しいと思っています。そうやってこそ、街の次の価値が生まれていくと思っていますから。」

–中野ブロードウェイに限定しない、中野の街全体を巻き込んでの活動になりそうです

「コロナによって世の中の価値観が一旦リセットされ、全てがスタートラインに戻った印象があります。しかしそれは新しい価値を作るチャンスでもあります。そのような思いを持っている若者たちに協力できるよう、中野ブロードウェイは中野のインキュベーターとしてあり続けたいですね。」

 

【中野区のお気に入りスポット】

新井薬師梅照院

「子供の頃からよく遊びに行っていた場所です。中野の定番観光スポットとしておすすめです。あと実は子供の頃ここで猫を拾ったことがあり…それもあって思い出として強く残っているのでしょうね(笑)」

 

 

★今回の中野人

青木武(あおき・たけし)

1949年 栃木県日光市生まれ。
翌年 東京都中野区へ移り住む。
1950年より亡父がバッグショップAOKIを開業、中野ブロードウェイ開館と同時に出店。
2007年中野ブロードウェイ商店街振興組合設立、以後現在まで理事長を務める。
(振興組合設立以前の任意団体にて平成14年(2002年)より会長職を経て理事長に就任)
2020年現在で19会期目。

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