【中野人インタビュー】中野氷川神社宮司 中田昌之氏

中野氷川神社 社殿

中野氷川神社は古くは旧中野村の総鎮守社であり、地域で信仰される神様・氏神(うじがみ)様を祀る氏神神社です。神社周辺に住む人々は氏神様に守護される氏子(うじこ)と呼ばれます。
地域の名前が「中野町」と改められた後も、北の野方町の氏神神社とともに中野地域を見守り続けてきた長い歴史があります。

今回の中野人ではこの旧中野村の氏神神社「中野氷川神社」の宮司・中田昌之さんにお話を伺います。

★中野氷川神社について詳しくはコチラ

生まれも育ちもずっと中野

–中田さんの中野歴は長いと聞いています

「長いというより、生まれてから中野を出ていないんです。大学を卒業したあと25歳までここ(東中野)で暮らしていましたが、ちょうどその頃に本郷氷川神社(中野区本町)の宮司さんが亡くなられて、跡を継ぐ人がいなくなってしまいまして。私が宮司として務めるために、昭和41年から52年までの11年間ばかりは本郷の方(中野新橋付近)で過ごしていたんです。そのあと今度は私の弟と宮司を交代することになって、私は中野氷川神社に戻ってきました。それから40年以上、ずっと東中野に住んでいるわけですから、生まれも育ちもずっと中野ということになりますね。」

–80年前と比べれば中野も随分変わったのではないでしょうか

「さすがに80年前のことは私も覚えていないですが、昔は周りを見渡すかぎり森や田んぼの自然の多い土地でしたね。今でこそ山手通り沿い、中野坂上周辺なんかは大きなビルやマンションも建って綺麗になってますが、私が小学生の頃は山手通りだって今の半分も幅はありませんでした。野っ原や池ばかりで、よく鞠投げして遊んでいた記憶があります(笑) 」

「東中野という地名も昔はなかったんですよ。今の東中野駅は柏木駅という名前でしたし、中野氷川神社のあたりは氷川町や川添町と言っていましたしね。東中野という名前が地名に使われ始めたのも昭和40年ごろからだと思います。そんなことも含め、中野はすごく変化したと思います。」

明治40年ごろの、現在のJR東中野駅の西口付近の様子

 

伝統工芸の職人や文化のまち、中野

–80年住んできたわけですが、中野はどんなまちだと思いますか

「私は中野以外の町に住んだことがないんですが、すごく住みやすいまちだと思っています。新宿にも近くて、交通の便がすごくいいんです。だからこそ中野坂上や東中野を中心に今もマンションがどんどん増えていってるわけですし。」

–中野には「サブカルの聖地」としての顔もありますね

「中野駅周辺のことですよね。正直そちらの分野は、あまり詳しくなくて。私ももう少し若ければそういったジャンルにもついていけたと思うのですが…(笑)。ただ、そのように言われてきたのもここ20年の間のことだと思います。私自身はどちらかというと、お祭りであったり打越太鼓や伝統工芸であったりといった印象のほうが強いですね。」

「昔はそこの神田川沿いにも染物などの職人達がいっぱいいたんですよ。水がすごく綺麗でしたからね。落合の方までずらっと作業場が並んでいました。残念ながらすっかりいなくなってしまいましたが、やっぱり私の中では、中野は伝統工芸の職人や伝統文化の色が根付いていたまちというイメージですね。」

–文化といえば中野氷川神社の歴史も古いですよね

 「中野地区では一番古い神社という位置付けです。始まりが1030年(平安時代)ですから、あと10年すれば1000年ということになります。もちろん最初は祠を建てたところから始まるわけですから、最初から社殿がここに建っていたわけではないのですが。それでも私の代で宮司は11代、江戸時代から続いていますから、歴史はそれなりに古いと言えます。」

社殿の「氷川神社」の文字は勝海舟が書いたもの

–中野には「氷川神社」が多くありますが

 「中野には全部で6社の氷川神社があります。名前が同じではどの神社を指すか紛らわしいので、江戸時代のそれぞれの鎮守村の名前を頭につけたんです。ここは旧中野村の鎮守社でしたから、「中野氷川神社」という名前になりました。 」

–旧中野村だけの氏神というわけではないんですよね?

「中野氷川神社の氏子(うじこ/氏神が守護する範囲)は全部で36町会、早稲田通りと青梅街道の両側から挟んだエリアです。毎年行われる中野氷川神社の例大祭ではこのエリアをお神輿が練り歩くことになっています。」

 

大正4年(1915年)の氷川神社

 

これまでになかった状況となった2020年

–中野氷川神社例大祭ですが、今年は残念ながら中止となりました

「毎年例大祭ではお神輿を担いだ多くの人たちが36町会を練り歩き、外国人の方々も集まったりして非常に大きな盛り上がりを見せていました。それが今年はコロナ禍の影響で、“密”となるイベントの開催はどうしても難しかった。神輿や露店も当然無理です。例大祭自体は行ったのですが、神社の境内での祭典のみを行うという、人数制限付きのとても寂しいものでした。本来お祭りというものは人々が集まることに意義があるのですが、今年は氏子の総代(氏子の中から選ばれた代表世話人)が全員集まることもできなかった。こんなことは、これまでにない初めての経験です。」

例年行われていた例大祭の様子

–では神社に参拝に来る人たちもかなり減っているのでしょうか

「いえ、実はそれは逆にすごく増えているんです。特に若い人ですね。夫婦であったり、子ども連れであったり…今まであまり神社で見かけることのなかった層が来られるようになりました。」

「もちろんコロナの影響で“密”な場所には行けない人々が、公園や神社といった場所へ行くようになったという背景もあるわけなんでしょうが、私はいいことだと思っています。これまであまり来なかった人たちが、これを機会に神社という場所にもっと興味を持ってくれれば嬉しいですね。」

–初詣にも人が増えるかもしれませんね

「しかしそれはそれで“密”が生まれてしまうので…実は今も頭を悩ませています。七五三やご祈祷などは予約制にして制限をかけて行っていますが、初詣は誰がどれだけ来るかということが前もってわからないので対策も取りにくい。今は『みなさん“密”にならないよう、間隔を空けておいでください』と言うしかないです。」

 

安心とやすらぎを与える場所になりたい

秋の境内の様子

「今年は3月・4月から本当に大変な状況が続いていますが、それでも若い人たちが参拝に来たり、子どもを境内で遊ばせる親御さんが増えているといった新しい動きも見えてきています。だから私たちが今できることは、人々が安心してこれからもずっと参拝できるようなやすらぎの環境・場所を作り上げていくことだと思っています。そうすることで、これまで中野で培われてきた文化がその人達の子どもへ引き継がれていき、次の中野のまちが育っていく。それが私たちにとってなによりも嬉しいことなのです。」

 

【中野区のお気に入りスポット】

神田川沿い〜桃園川緑道

神田川沿いは4月には桜が咲き乱れ、非常に美しい景観が気に入っています。そのまま桃園川緑道までのんびり散歩すると、とても気持ちがいいんです。」

 

★今回の中野人

中田 昌之(なかた・まさゆき)

1940年 東中野生まれ。
1965年から11年間、本郷氷川神社の宮司を務める。
1976年から中野氷川神社11代目宮司となる。
現中野氷川町会 町会長。

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