【中野人インタビュー】株式会社まんだらけ 代表取締役社長 古川益蔵氏

今回は中野ブロードウェイのキーテナントとして館内になんと30店舗を展開し、マンガ・アニメ関連を中心に古本・中古グッズの買取・販売を行う「まんだらけ」の代表取締役社長、古川益蔵さんにお話を伺います。

まんだらけ本社会議室にて

中野が唯一知っている繁華街だった

–まずは、古書店を始めたきっかけからお話を伺っていきます。

「若い頃、売れない漫画家(伝説のカルチャー漫画誌、『ガロ』に連載していた)をしながら水木しげるさんのアシスタントをしていまして、それだけじゃあ食えないので、『憂都離夜(ゆとりや)』という、友人の古本屋のお手伝いをしていたんです。それで彼が辞めちゃって、跡を継いだ形ですね」

–「憂都離夜」は水木さんのスタジオがあった調布にありました。古川さんが商売を引き継ぐにあたって、1980年頃、中野ブロードウェイに『まんだらけ』として出店します。なぜ、この場所だったのでしょうか?

まんだらけ出店当時のブロードウェイの様子

「18の時に東京出てきて、初めて住んだのが中野だったんです。当時中野にあった大学の寮に住んでいた郷里の先輩から安い部屋を紹介してもらって暮らしていました。田舎者が東京に出てきて、最初の商店街がブロードウェイだったんです。『憂都離夜』があんまり儲かっていなかったので、どこか繁華街に出したいな、とずっと思っていたんですけど、ここしか思いつかなかったんですよ。2.3坪で10万円。今思えば高いんですが、10万ならなんとかなる、と思って」

1980年(昭和55年)、最初の店舗はわずか2.3坪でした(一番右が古川氏

開店当初の店内の様子。(出典/まんだらけ風雲録)

–その後商売は順調に進み、店舗は拡大しながらブロードウェイ内で次々と移転していきます。現在は古書に始まり、おもちゃ、グッズ関連など細かくジャンル分けされた「まんだらけ」の専門店が館内に30店もあります。

「結局、お客さんの求めに応じて(商品を)置いていったらこうなった、ということです。最初は古本と同人誌。それからグッズにおもちゃですよね、さらにカードゲーム、たまごっちなどの携帯ゲーム、テレビゲーム、スマホゲームと、その時々の流れで(業態が)増えていった感じですね。うちがある程度成功するとそういうマニアショップの方がどんどんブロードウェイに出店してきて、それまでのアパレルビルからオタクショップビルに変貌して、発展してきました。僕自身も最初の頃だけ他のお店を誘致したりもしました。3店舗ほど。コレクションはあっても店を出すまではできない、という人には保証人にもなってあげて不動産屋さんとかけあったりして」

–現在ならともかく、80年代に競合他社に便宜を図るのは珍しかったんではないでしょうか?結果的に、ビル全体の活性化につながったと思いますが。

「いや、そこまでの意識はなかったです。ただ、お客さんが喜ぶかな、と思って。その頃誘致したのは、映画・芸能といった違うカテゴリのお店ですね。うちではもう手が回らないから『ブロードウェイに出てこないか?』と」

中野ブロードウェイ3階にある現在の「まんだらけ本店」

「中古品」には、「新品」にはない価値がある

–現在ブロードウェイには同業店も数多く出店し、サブカルの聖地とも言われていますが、「まんだらけ」だけで、ほとんどのコレクターアイテムのお店を出店されている印象があります。

「そうでもないですよ。本当はまだまだ全然足らないです。日本のコレクタブル市場というのはすごいですよ、ものすごいです。僕は10兆円はあると思ってますから、中古だけで」

–10兆円!

「うちで掘り起こせているのはたった100億です。10兆円、というのは、あらゆるものですよ。クルマとか、楽器、アンティーク、建物・・・。僕が食指を動かすのは、全部(自分のビジネスに)入れちゃいたいと思っているんです。やっぱり、正当に評価されていないですよ。日本人は、なんか下に見るんですよね」

–新品に対して中古を、ですね?

「そう。でも僕は時を経ることで新品よりはるかに価値が上がることがある、と思っていて、そこの評価が日本はやっぱり薄いな、と。そこのこだわりだけはちょっとあります」

–ただ古いから中古で安い、ではなく、中古ならではの魅力もあるということでしょうか?

「人間だってそうですよね。年齢を重ねることで上がる価値もあります」

–なるほど。しかしそういう価値観を広めるのは、一朝一夕にはいかなかったでしょうね。

「そうですね。例えば、昔は男性漫画しか売れなくて、女性漫画の古本の流通は本当に少なかったんです。需要がなかったわけではないと思うんですが」
「うちでは本が入ってきたら滅菌してきれいに拭いて、さらに巻数を揃えて出すようにしているんですが、そういう積み重ねでそれまで売れなかった女性漫画が売れるし、入ってくるようになってきた。当時は萩尾望都とか、竹宮惠子とか、高橋留美子ですね。いい作家さんが出てきた時期でもあったので、さらにコンテンツの精度を上げるべく、彼女たちの初版本なんかも入手して、正当な値段をつけていったんです。そうして市場も広がってきた。そう考えると、うちが成功したのは女性コレクターの力が大きかった、とは言えますね」

今では外国人の姿も多く見ることができる

–今ではカップルのお客さんも多いですね。オタク文化自体も男女平等に市場があるのが当たり前になりました。外国人のお客さんも非常に多い印象ですが、これはいつくらいからなのでしょうか?

「もう2000年ころにはけっこういらっしゃいましたね。今、うちの通販サイトでは88カ国から注文があるんですが、2年前には60カ国くらいだったので、特にここ最近急に増えていると思います」 

中野はまだ未成熟。だから未来が面白い


–ここで話は中野に戻り、古川社長自身現在中野にお住まいとのことで、現在の中野の街にどういう印象を持たれているか伺ってみました。

「不思議なところですよね。街で言えば新宿と吉祥寺の間にあって、新宿から1本で快速も停まりますし、いい場所なんだけど、良くも悪くも特徴があまりない。中野といえば、コレ、というものが少ないですよね。例えば下北沢なんかは個性的なお店やスポットがいろいろあるじゃないですか。ただ、中野はそこがいいとも思うんですよ。」

–『アキバで有名な◯◯!』というようなフレーズにも『ナカノ』は使われない。

「うん、ない。だから、いろんな人間が集まってもきます。ここはカオスというか、未成熟というか、これから何かが生まれるんだろうけど、まだあまり育っていない、というところでしょうか。未成熟には未成熟の良さもあるじゃないですか。誰もいきなり成人にはなれないわけですから」

–「まんだらけ」がすでに中野の核をなす業態である、とは思われませんか?

「絶対ないですね、それは。今後は知りませんが、僕が社長の代ではたぶんないでしょうね。僕のやり方は、発展していく、というのではなくて、蔓延る(はびこる)、というスタンスなんです(笑)。じわじわと。知らぬ間に蔓延っていたいんで」

–では、「まんだらけ」社長としてではなく、一中野区民として、今後の街にどのような期待を持たれるでしょう?

「どういう特徴を持つにせよ、若い人が集う街じゃないと街の発展はないと思うんです。そして若い人が集まるには、若い人がやる店がないとダメだとも思います。斬新な発想で、作られたトレンドに乗るんじゃなくて自分でトレンドを作れるような人たちのね。ジジイにはもうできないと思うんですよ(笑)」
「そのためには土壌が柔らかくないといけない。具体的には小さくて汚くてもいいから安い家賃で出店できる場所が確保される、ということですね。そして既存の住人がどんな店でも出させてやろう、という柔軟な考えで若い人を受け入れる意識がある街になればいいな、と思います」

 

★今回の中野人

古川益蔵(ふるかわ・ますぞう)
1950年 滋賀県長浜市生まれ。
漫画家を目指して18歳で上京し、1960年代、実験的漫画誌として、漫画界のみならず大学生を中心としたカルチャーに多大な影響を与えた「ガロ」に「古川益三」のペンネームで作品を発表。創刊時から掲載されていた安部慎一や鈴木翁二とともに「ガロ三羽烏」と呼ばれた。「ガロ」にも作品を発表していた水木しげるのアシスタント時代に友人と始めた貸本屋兼古書店を母体に、1980年ごろ中野ブロードウェイに「まんだらけ」を開業。通販用に写真目録を作成するなどして、こんにちの古本漫画取引相場の基準を作ったほか、現在では本以外のマニア関連グッズの取引相場も多くが「まんだらけ」のものを基準にしている。

【中野のお気に入りスポット】
中野区立哲学堂公園
 
「哲学堂公園には10の聖賢が祀られていて、それを見るたびに人間の愚かさを知り、自分を戒めるために時折通っています。」

★哲学堂公園について詳しくはコチラ